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國語石幵究 金田一京助著 古書
國語石幵究 金田一京助著 古書 [浏览原始页面]
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卖家账号:Shiro

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商品信息

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本書 三三七頁より引用


"國家全體の利害を思ふ時には、苟も個人的好惡に出發して議論を立て、理由を美しく取つてつけては濟まないのである。正に、好惡を精算し、個人的感情(靑)を引込めて全體の上から、かくあるべきことを立論すべきではあるまいか、と自らを引き立てるのである。"


――――――――――――――――――


《本書の調査過程で感じる違和感》


*本書「國語[石幵]究」についてデジタル領域を調査すると以下の機関による所蔵が確認できる

国立国会図書館サーチ


国立国会図書館及びデジタルコレクション、名古屋市図書館、京都府立図書館、大阪府立中央図書館、鳥取県立図書館、広島県立図書館


※地方による集中が見られる


−−−


*正式なタイトルは「國語[石幵]究」であるが、図書データでは全て「国語研究」と表記されており『國』は国語として、『石幵究』は研究として、"新字体"で表記される


理由


[日本の公的機関(図書館・文献データベース・行政記録)は、以下のような“現代表記ルール”に従っている]

・戦前・戦中の書籍でも、新字体(国)で統一して記録
・発行日は「年」だけに縮減し、月日情報は省略
・書名に「旧字」や「旧仮名」があっても、検索利便性を理由に簡略化


−−−


*国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)のサイトで検索欄に「國語石幵究 金田一京助」と入力しても結果は「国語研究」又は「国語研究 増補版」というタイトルで表記される


*国立国会図書館デジタルコレクションのサイトにおける検索結果も同様である

国立国会図書館デジタルコレクション


理由


同サイト内ヘルプページより引用

[2-6 検索における注意点
 (1)検索における正規化について

 以下の文字の区別は行いませんので、
 どちらを入力してもヒットします
 (書誌情報検索)。
 数字(全角/半角)
 異体字(例 竜と龍など)
 かな(ひらがな/カタカナ)
 拗音、促音(やゆよとゃゅょ、つ
                  とっ)]


*この引用文内で用いられるキーワード「正規化」の目的については記載を控える


−−−


*国立国会図書館デジタルコレクションのサイトには著者金田一京助の「国語研究」として出版年月の表記によって次の四種のページがある


①昭和17 ②昭和18 ③1942 ④1943(増補版)


①昭和17 表紙画像データなし
日本全国書誌番号46024143
②昭和18 表紙画像データなし
日本全国書誌番号46024144
③1942 表紙画像データあり
日本全国書誌番号59002400
④1943(増補版)表紙画像データあり
日本全国書誌番号59001598


*全国書誌番号については
出版期間:
1926年(昭和元年)~1949年3月
→46XXXXXX~47XXXXXX
登録期間:
1959年にデータ登録
→59XX’XXXX(1942,2400/1943,1598)


所感


③1942の整理番号は2400
④1943(増補版)は1598 
整理番号と年代が逆転しているようだ


*データの登録順によるものだろうと思ったなら
今度は表紙の画像を見て頂きたい
どちらも箱本の表を正面から撮っている


③1942 國語石幵究
④1943 増補版 国語研究

1943年と1942年の箱本、
表紙のレイアウトは殆ど同じ仕様である


所感


なぜか1942年の方が新しくみえる

理由:
箱本の焼けが1943年版の方が濃い
1943年版表紙の「刊」の字が右側にズレる
 ※本投稿の表紙の「刊」の字と見比べると...


個人的な視点になるが、ここに記録される整理番号と表紙データからは、まるで④1943年増補版が③1942 國語石幵究よりも先行して発行、或いは登録されたかのような異様な気配を感じる


−−−


違和感


①昭和17 表紙画像データなし
日本全国書誌番号46024143

この書の表紙は私が所有する「國語石幵究」以外、デジタル領域に同一の画像データは一切存在しない

そして前段で述べた、同じ刊行年のこの書(③1942)とは箱本のデザインがまったく異なる

③1942 表紙画像データあり
日本全国書誌番号59002400

①③は書誌番号が異なるが同じ書である。
しかし、③の表紙の画像データは"登録"されており
①の本書は表紙の登録データが存在しない


「なにが起きているか見えてきましたか」


――――――――――――――――――


《聲さえ残せず抹消される》


*不可解な“制度的振る舞い”、言語の「管理」あるいは「抹消的記号操作」が確かに存在している


*公的な機関のルールは、記録対象の原典を忠実に保存するのではなく、「制度的に通用する言語体系」へと加工する方針が根本にある


*「國」は「国」ではない

「囗(くにがまえ)」に「或(領域)」
即ち国土、文化圏を守り封じる象形である


*京助は「石幵究」と表記した

「石幵」とは石をみがくことであり、この字をあてた事情について、本書の「序」で京助本人が述べている


*「國」「石幵」どちらも
作者が選んだ字であり、それ自体が意味を持つ象形であるが、それは正規化現代表記ルールによって整形される

*正規化とは、言葉からその痕跡=異常=個性を削除する技術である「なんのため」

対して

*石幵磨は暴力を超えて自由を打ち立てる行為である


――――――――――――――――――


《定價 四圓五十錢》


國語[石幵]究


著者 金田一京助


発行者 鎌田敬止
印刷者 西川喜右衛門
発行所 八雲書林


昭和十七年一月十一日 印刷

昭和十七年一月十五日 發行


――――――――――――――――――


《改革の機會》


*新字体「国」は、戦後のGHQ下の字体簡略化政策(当用漢字)によって導入された


*他国・衒学者・他者に責任をこすりつけるな


いま向き合うべきは現状の課題と改革の機會である

1941年、1942年と、時代のうねりの最中で
京助は明らかに本書の出版に追われ焦っていた
学問的な空白へ放置された本書は


京助が本書の末尾に書いた
《改革の機會》そのものである


2025年4月


 “石幵”が削られ、“國”が潰され、“日付”が奪われる


これを見過ごして
或いは知ることもなく流れていく時の中で
なにが新時代だ、この有り様な日本を誇れるか


以上

2025年4月25日(各サイトの参照日) 


――――――――――――――――――


この投稿へのお気に入りや内容の共有、拡散、その他あらゆる方法論が試された時、それはただのクラウド上の墓標として記録されるだろうか。否、あなたの存在、あなたのひとつの行動が事を揺るがす契機にならないと、それはどんな時代にあってもお天道様の決めることなんかじゃあないだろう。


世紀を越えて、京助の残した言葉が一言一句在るが儘あるという当然、その時、現在地点から過去の回帰不可能点へと賽を投げ込める構造が「邂逅」の座組である。


Gabou 協力者


(2025年 5月 5日 14時 52分 追加)
商品名について質問があったので回答と商品説明に補足を加えます

質問1 :2025年5月4日21時54分
國語石幵究?

以下、回答となります。

この度はご質問をありがとうございます。この問題に対して、ご質問いただけたことに感謝します。

ご指摘の「國語石幵究」について、もしご関心が「研究」の表記に対する疑問であれば、以下に簡潔な回答と補足を記します。

2025年現在「研」の旧字とされる石部(いし・いしへん)を部首に、幵(けん)と書く音読み「KEN(※仮表記)」の漢字について、のシステム上では商品タイトルや説明欄に入力しても表示ページには反映されません。

「國語KEN究」と旧字とされる漢字を用いた場合「國語究」として表示され、「KEN」の文字に対して省略、抹消の操作が行われるシステム仕様となっています

そのため本書タイトルは商品名にそのまま表記することができず「石幵究」は、意図的な造語として記載しております。「國語究」などと欠落して表示させるぐらいならいっそ「kenQ」と書こうか、或いはカタカタ転写などの表記も検討しましたが、本来の漢字構成とのギャップこそ問題視しているため「石幵究」と無様な仮記としてやむなく商品名に使用しました。

回答は以上になります。

ご質問、誠にありがとうございました。
引き続きご不明点があれば、どうぞお気軽にお尋ねください。

---

《商品説明 補足》

デジタル領域の多くの漢字サイト(オンライン漢字辞典、産経国際書会、漢字/漢和/語源辞典:OK辞典などのWEBサイト)で研究の「研」の旧字(旧字体、或いは簡略化前の形)であると「石幵(※仮表記)」の漢字についての説明書きが成される

ここで用いられる旧字体という言葉には注意が必要である

旧字体とは新字体という言葉と適切に対応していると思われがちですがその定義は曖昧なものだ

まず新字体は、「当用漢字字体表」(1949年内閣告示)で示された新しい字体、および「常用漢字表」(1981年内閣告示)で補足された字体であり、旧字体はそれら当用漢字字体表や常用漢字表で新たに採用された字体に対し、それ以前の字体である

定義そのもののおかしな点について、ここで長々と解説することはしませんが、例えば「岩 旧字体」でGoogle検索をするとページトップにAIによる概要としてAI による概要として以下のテキストが生成され、このような説明に対して違和感を覚える方もいらっしゃるかと思う

AI生成テキスト
「岩」の旧字体は「巌」と「嵒」です
「巌」は「岩」の俗字で、ごつごつした大きな石や岩穴を意味します
「嵒」は「岩」の繁体字です

なにが問題か

「岩」の旧字体は「巌」であり、俗字である



説明を加えれば同時に「岩」それも旧字体であり新字体でもある、つまり上記した旧字体の定義を交錯して、旧来使われている「岩」と「巌」という意味も象形も全く異なって使い分けられてきた二つの活字について、このような説明が平然とまかり通っている現状が当然の如くある

その上で石幵に関わる問題ははるかに根が深い

京助が1942年に刊行した本書においては、「研」と「石幵」が明確に使い分けられており、思想的・記号的意図を込めた表記の選択であると考えられる

歴史性や文脈を読めないものたちがこれに類する言語問題について触れる時、例えば「國」という漢字について騒ぎ立て、三島の「憂國」が「憂国」として出版されていることを問題としたがるような属性の人間たちを量産し、果ては都市伝説系動画配信者の「気」はかつて「氣」であった(戦後GHQの政策によって...)という馬鹿丸だしの動画政策者と同じレベルの視野で両者がともに語っているということ、その構図に本人たちはおろか周囲も注意を置けない状況である

しかし大戦後の政策など、そんな透かせば視える程度の歴史的領域に、京助には視えたであろうこの問題の本質は存在しない

話しを戻そう

新字体「研」の部首「石」につく漢字を「」と見た時、「(かい)」は開くことを意味する象形であり、古文でも使用される

そして全く別の意味を持つ、ここに表示すらされない「石幵(※仮表記)」という漢字をもっとはっきり言い表そう

これは「石を削る」という職人的作業である

補足は以上である

「ゴツゴツとした石を削り磨く」という行為、学問を文字通り“削り磨く”ことへの比喩的、実践的姿勢こそが「石幵(※仮表記)」であり、20世紀はおろか14世紀から15世紀頃には政略的に用いられる西洋的表現の代表であり、それがある儀式的な性質を合わせ持つ表現であったため、それを覆い隠す、または一部の國の人間の認識からそれ自体を抹消するための仕掛けが歴史上いたるところに遍在している

2025/05/05

(2025年 5月 5日 21時 40分 追加)
ひとつの質問と追記掲載によって
とある観察ができた

この商品説明で指摘している問題は

図書館の統一書誌は 「検索利便のため新字体表記で統一」 が明文化されており、旧字をメタデータとして保持しつつ、表面には出さない、この光景は半ば政策的であるということ

そして追記した内容については
すべてが出鱈目である

側のシステムは処理の流れが明確である

①NFKC 正規化半角⇔全角・互換漢字を統一し検索インデックスを軽くする旧字→新字に「丸め」られる
②ShiftJIS(CP932) ラウンドトリップ古い DB/検索サーバとの互換維持CP932 に無い字は null 扱い → 空白になる

このように技術的な要因を特定できる
目的は動作保証 & コスト削減(古い技術資産をそのまま使う)

旧字体を意図的に
“検閲”しているロジックは確認できない

しかし俺が「研」の字についての質問が来た時に水を得た魚のように回答や追記内にて殴り書いた内容、言語の抹消的操作が図書データだけではなく、このサイトを含むデジタル領域の各所で確認されており、あるいは「國」の字と比較してあたかも「研」の旧字体がより重要な意味を持ち、それが陰謀論のように秘匿されている、そのようなうわ言をオンラインデータベース上に記述した時にどのような観察者が現れるのか

興味深い反応(陸に打ち上げられた魚を観るような)を思っていた距離で確認することができた

なにより技術の副作用であっても
それは抹消として働くということが重要である

効果(=旧字体が見えなくなる)により
一部ユーザーは「存在しない」と思い込み
文化的な空白がそこには生まれる

結果として“抹消” は起きる

(2025年 5月 8日 2時 54分 追加)
wikipediaより引用

金田一 京助(きんだいち きょうすけ、1882年〈明治15年〉5月5日 - 1971年〈昭和46年〉11月14日)は、日本の言語学者、民族学者。日本のアイヌ語研究の本格的創始者として知られる。國學院大學教授を経て、立教大学教授、東京帝国大学教授、國學院大學名誉教授。日本学士院会員。日本言語学会会長(2代目)。学位は、文学博士(東京帝国大学)。栄典は従三位・勲一等・瑞宝章・文化勲章。盛岡市名誉市民[1]。歌人・石川啄木の親友であったことでも有名。

所感

俺はアカデミーと最も縁のない男であり、知り合いに言語学専攻の大学教授はいるものの、京助本人が言語学者と名乗ったのか。そうは思いがたいが、日本語学というゴミしかいないサロン活動に嫌気がさしていただけだろう。あとは言葉についても思ったままに書くところがある

アイヌの〜は京助の流したデマ

よく見る笑えると文言だ。もっとヤバいデマに加担したくなかったかた、目で見た情景を記したんだろう。その時、自分を研究者なんて微塵も思っちゃいない

啄木の親友、これもひどい紹介文である

啄木詩集は今でも書店にあるが
残念ながら本物じゃない

初版本がまだなんとか手に入るから
読んでみるといい

京助による1年間
時にズレた啄木の経歴が記載されてる

世の中テキトーばっかりである。
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