![なつめ 竹 平棗 つぼつぼ紋 鵬雲斎好写し 13代 黒田正玄作](https://shopping.c.yimg.jp/lib/imaya-storo/natume-78_2.jpg)
黒田正玄は千家の正統的な茶道具を制作する千家十職の一家(竹細工・柄杓師)です。
明治維新に至るまで将軍家御用柄杓師を務めました。
【初代 黒田正玄】
1578年天正06年~1653年承応02年
越前国黒田郡の出身で、名を七郎左衛門(後に正玄)、俗称を日参正玄といいます。
当地の丹羽長重に仕えますが、のち剃髪して「正玄」と改名し、近江国大津で竹細工を業としました。
天下一と称されていた一阿弥に師事したとされています。
後に上京して小堀遠州に茶の湯を学び、その推挙で将軍家御用柄杓師を務めました。
茶の習得に遠州に日参した為、「日参正玄」と呼ばれた。さらに、大徳寺156世江月宗玩に参禅した事でも知られています。
【2代 黒田正玄】
1626寛永03年~1687年貞享04年
初代 正玄の三男として生れ、名を宗正(後に正玄)といいます。
小堀遠州の推挙で3代将軍・徳川家光の御用柄杓師を務めました。
【3代 黒田正玄】1656年明暦02年~1717年享保02年
2代 正玄の長男として生れ、名を弥助(後に正玄)、号を正斎といいます。
5代 将軍・徳川綱吉の御用柄杓師
表千家 6代 覚々斎宗左、久田家3代徳誉斎宗全の御用を務めました。
1704年宝暦元年 長男・弥吉に家督を譲って隠居し、「正斎」と号す。
【4代 黒田正玄】千家職家となる
1692年元禄05年~1731享保16年
3代 正玄の長男として生れ、名を弥吉(後に正玄)といいます。
5代 徳川綱吉の御用柄杓師、表千家6代覚々斎宗左の御用を務めました。この代より千家職家となりました。
【5代 黒田正玄】1708(宝永5)年~1778(安永7)年
4代 正玄の養子で、名を才次郎(後に正玄)といいます。
8代 徳川綱吉の御用柄杓師、表千家7代如心斎宗左、裏千家8代一燈宗室、武者小路千家7代直斎宗守の御用を務めました。
【6代 黒田正玄】
1747年延享04年~1814年文化11年
5代 黒田正玄の次男として生まれ、幼名を正次郎、名を弥吉(後に正玄)、号を弄竹斎・玄同といいます。
10代 徳川家治の御用柄杓師、表千家8代そったく斎宗左、裏千家 9代 石翁宗室、武者小路千家 8代 休翁宗守の御用を務めました。
上京町年寄を務めました。
【7代 黒田正玄】
1768年明和5年~1819年文政02年
6代 黒田正玄の養子で、幼名を弥三郎、名を弥吉(後に正玄)といいます。
11代 徳川家斉の御用柄杓師、表千家 9代 了々斎宗左、裏千家10代認徳斎宗室、武者小路千家 9代 好々斎宗守の御用を務めました。
上京町年寄を務めました。
【8代 黒田正玄】
1809年文化06年~1869年明治02年
7代 黒田正玄の長男として生まれ、幼名を熊吉、名を弥吉(後に正玄)といいます
12代 徳川家慶の御用柄杓師を務めましたが、明治維新によって将軍家の庇護を失いました。
【9代 黒田正玄】
1837年天保08年~1859年安政06年
8代 黒田正玄の養子で、幼名を弥一郎、名を弥吉といいます。早世しました。
【10代 黒田正玄】1825(文政8)年~1900(明治33)年
8代 黒田正玄の婿養子で、名を利助(後に正玄)といいます。
9代 黒田正玄が早世した為、師・8代 黒田正玄の養子となって10代を継承しました。
1881年明治14年、長男・熊吉に家督を譲って隠居しました。
【11代 黒田正玄】
1869年明治02年~1911年明治44年
10代 正玄の長男として生まれ、名を熊吉(後に正玄)といいます。
表千家 11代 碌々斎宗左、裏千家 12代 又みょう斎宗室、武者小路千家 11代 一叟宗守の御用を務めました。
1881年明治14年 11代 黒田正玄を襲名しました。
【12代 黒田正玄】
1906年明治39年~1988年昭和63年
11代 正玄の長男として生まれ、名を久万吉(後に正玄)といいます。
父が逝去した時に未だ幼少であった為、黒田常次郎が後見となりました。
1926年大正15年 家督相続する。
1943年昭和18年 政府認定技術保存資格者
1976年昭和51年4月28日 紺綬褒章受賞。94歳で死去
【13代 黒田正玄 (本名 正春)】
1936年昭和11年生~
早稲田大学文学部卒
1966年昭和41年 13代を襲名
サイズ:約直径8.6×高6.2cm
作者:13代 黒田正玄作
素材:竹製
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【13代 (本名 正春)】
昭和11年生~
早稲田大学文学部卒
昭和41年 13代を襲名
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箱:木箱
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