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藏(1995年) 監督 降旗康男 *送料無料
脚本 高田宏治
製作 亀岡正人
妹尾啓太
川野知介
製作総指揮 松方弘樹
出演者 浅野ゆう子
一色紗英
松方弘樹
音楽 さだまさし
服部隆之
主題歌 さだまさし「烈」
撮影 森田富士郎
編集 玉木濬夫
製作会社 東映京都撮影所
松プロダクション[8]
配給 日本の旗 東映
公開 日本の旗 1995年10月10日
上映時間 130分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 10億円[9]
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『藏』 1995年10月10日公開。主演:浅野ゆう子、脚色:高田宏治、監督:降旗康男、音楽:さだまさし・服部隆之、サウンドトラック:交響組曲 藏(KURA)。日本映画100年記念作品[10]。宮尾登美子作品7作目の映画化[8][11]。製作費6億円[1]。文部省選定、優秀映画鑑賞会推薦[12]。
キャスト(映画)
佐野佐穂:浅野ゆう子
田乃内烈:一色紗英(幼少期: 小井紗陽)
山中せき:夏川結衣
竹田涼太:西島秀俊
文吉:江藤潤
八助:小木茂光
お半:川島なお美
神官:石立鉄男
眼科部長:神山繁
佐野武郎:船越栄一郎
田乃内賀穂:黒木瞳
田乃内正博:長谷川初範
平山晋:蟹江敬三
谷村昌枝:朝丘雪路
田乃内むら:加藤治子
田乃内意造:松方弘樹
スタッフ(映画)
監督:降旗康男
脚本:高田宏治
原作:宮尾登美子
製作総指揮:松方弘樹
企画:日下部五朗
プロデューサー:亀岡正人・妹尾啓太・川野知介
撮影:森田富士郎
美術:西岡善信
音楽:さだまさし・服部隆之
歌:さだまさし
音楽プロデューサー:酒井政利・高桑忠男
録音:伊藤宏一
照明:増田悦章
編集:玉木濬夫
助監督:藤原敏之
スクリプター:黒川京子
進行:塚田英明
製作
製作決定まで
企画は日下部五朗プロデューサーだが[1]、1992年に本作の毎日新聞連載が始まると、東映全体でこれは当たると声が上がり、東映全体で映画化を熱望した[1]。しかし岡田茂東映社長(当時)が一人映画化に猛反対し[1]、映画は舞台・テレビに後れを取った[1]。東映は1982年の『鬼龍院花子の生涯』の映画化で宮尾を売れっ子作家に押し上げ[1]、以降、1983年『陽暉楼』、1984年『序の舞』、1985年『櫂』と宮尾作品を次々ヒットさせたが[1]、それ以外は映画化するには帯に短し襷に長しで映画化しずづらく、日下部は、岡田社長から「宮尾作品で勝負しろ」と言い続けられたため[1]、仕方なくそれぞれ15分くらいで読める『夜汽車』(1987年)と『寒椿』(1992年)を、タイトルだけ使い、宮尾の様々な作品を寄せ集める形で映画化した[1]。この2本は興行が振るわず[1]、映画化に耐える骨格がないという問題点があった。話をでっち上げる格好になったため、東映と宮尾は一時険悪になった[1]。
東映の宮尾作品は、ヤクザや女衒が柱を務め、人気女優のヌードや濡れ場が大きなウリで、これらは東映カラーとも適合し成功を収めていたが[1]、本作にはそれらは一切なく、本作映画化に際して、東映全体では映画化を熱望したものの岡田会長が例によって「ヒロインが盲の話、誰が見に来るんじゃ!」と言い[1]、一人猛反対した[1]。一連の宮尾作品は凄い敵が前途に立ちはだかることで鮮烈のドラマが成立していたが、本作は家族のドラマで敵がいないことに岡田は不安を持った[1]。日下部が何度も岡田を説得したが、「諄い!撮ること罷りならん!」と頑なに拒否された[1]。日下部が岡田の説得に難航しているを聞いた松方弘樹が途中から助太刀し[1][13]、松方の松プロが製作費の折半を提案[13][14][15][16]。当時の松方はテレビで活躍するタレントイメージが強く、意造役は、それまでの松方のイメージとは全く違う地味な役でもあり、50歳を過ぎた松方としても役者の幅の広さを示したいという想いがあった[1]。日下部が重ねて「会長、運命が敵じゃないですか」「逆境の中で女が斗って、自分の宿命と斗って果敢に生き抜いて見せた。これに勝る敵はないですよ」などと岡田の説得を繰り返し、岡田が根負けして「そこまでこだわるんならやれや」とようやくGOが出た[1][13]。岡田は『朝日新聞』のインタビューで、「アメリカのアクション大作が年に三、四本、日本で大ヒットし、少々の日本映画では太刀打ちできない。アクションものはしばらくやめよう。代わりに日本古来の文化を描いたものをやろうと思った。『藏』のような女性路線には、将来に望みをかけています。外国映画がやらない任侠ものは若い世代には人気がありません。テーマがつかまえにくい。テレビのトレンディードラマにしても、とらえどころがないから、僕は『風船ドラマ』と呼んでいる。これはテレビの方がうまい。映画の素材を確立するのが難しい時代だ。映画館だけで稼がなくてもいいが、今はテレビやビデオ向けに売り込めるから、映画の質が『中級専門』になる。そんな映画は飽きられてしまう。日本独自のものを作ることです。そのためには若い世代から大物プロデューサーが出なきゃいかん」などと話した[17]。
先行した舞台・テレビ放映の人気の高まりと、降板騒動で、映画化の認知度は公開3ヶ月に68%と高かった[1]。高岩淡東映社長は本作を"母物映画"と評している[18]。
監督、脚本
松方が初めてプロデューサーとして参加し[10][14]、監督には東映出身で当時はフリーの降旗康男に依頼[14]。原作をそのまま映画にすると7~8時間となるため、脚色の高田宏治が2時間少しに凝集した[1]。
キャスティング
烈役は宮沢りえに決定し[1]、マスメディアを通じて発表もされていたが、クランクイン直前に突如宮沢が降板し世間を賑わせた[1][11][14]。これが地下鉄サリン事件の前で[1]、マスメディアも大きく報道し[1]、「藏」映画化のニュースは一気に世間に浸透し、りえ効果は映画のプロモーションに絶大なものがあった[1]。1995年1月28日に東映京都撮影所での衣装合わせの際[1]、宮沢は初めて浅野ゆう子の出演を知り[1]、キャストの序列も、浅野、宮沢の順で自分が主演でないと知った[1]。同年2月6日に出演辞退を表明し[1]、マスメディアが一斉に飛びつき大騒ぎとなった[1]。マスメディアは「一生に一回あるかないかのいい役を降りるなんて、ミステイクを甚だしい」と報道した[1]。脚本家高田宏治によると、元々2番手だった浅野ゆう子が「トップじゃないとイヤだ」と言い出し、宮沢側が「話が違う」と怒っての降板だったという。この騒ぎの中行われた制作発表の席上で、浅野は「クレジットはあいうえお順かと思った」ととぼけた[19]。宮沢の烈役は作品の要で、降旗監督は荷物をまとめて東京に帰る支度を始め、松方も「止めよう」と言い、製作中止になりかけたが、2月14日に代役に新人一色紗英を立てて[20]、製作を強行した[14]。なお、宮沢演じる豪姫がタイトル・ロールになっている映画『豪姫』では仲代達矢演じる古田織部がトップクレジットとなっているが、このときは問題は発生していない。
1997年の『失楽園』映画化にあたり、ヒロイン争いをしていると当時のマスメディアに盛んに取り上げられた黒木瞳と川島なお美が短時間出演しているが[21][22][23][24]、劇中、黒木の役が死んだ直後に川島の役が登場するためニアミスで競演シーンはない。
製作会見
1995年2月21日、ホテルニューオータニで製作発表記者会見があり[20]、先の降板騒動に対して宮尾が、「今時、配役序列が問題だとして役を降りるなんて何と映画界、旧い体質なんでしょうね。若い人にはそんな因習めいた考えから脱却して欲しいと思います。口約束にしてもそんなに軽く一方的に踏みにじっていいものでしょうか」と、宮沢を辛辣に批判した[1]。浅野はこの会見では、その話題を避け、「生涯最高の役が回って来たと気持ちが昂ぶっている。相手役の一色紗英を先輩として及ばずながら支えていい芝居を見せたい」と眦を決する気力充実の挨拶を見せ、迫力のある会見となった[1]。
撮影
監督の降旗は田乃内烈のキャラクターは、宮沢りえより一色紗英の方が良いのではないかと秘かに思っていたため、ベテランの浅野ゆう子や松方弘樹に伍して一色が立派に主人公を演じてくれて嬉しかったという[14]。
美術
主舞台となる田乃内家は、美術の西岡善信らによる力作で、東映京都撮影所に無垢の木材を持ち運んで、土台石の上に据えるなど、人件費が通常のセット建設の7~8倍かかった[1]。当時の酒蔵もリアルにセットで再現し、米麹が発酵するダイナミックな酒造りもそこで撮影された[11]。テレビで主に活躍する浅野や一色が「これが映画の世界?」とど肝を抜かれていたという[1]。
備考
「古来から酒蔵には神宿るゆうて神様が住んでおられるすけ穢れのある女は入れねえ」というセリフがある。
撮影記録
1995年2月22日、雪の降る新潟でクランクイン[1]。撮影は2か月半に及び、同年5月12日クランクアップ[1]。同年6月28日完成。
ロケ地
守門村(現在の新潟県魚沼市)の目黒邸(国の重要文化財)。
宣伝と興行
1995年は「映画百年」でもあったが[16]、神戸の震災や地下鉄サリン事件の連日の報道で、映画興行は大きな打撃を受けた[16][25]。1995年7月4日に丸の内東映で完成披露試写会[15]、同日夜、東京銀座並木通りの三笠会館で宮尾登美子主催による「藏」映画化謝恩パーティが関係者を招いて開催された[1]。映画関係者や東映首脳は勿論、中江利忠朝日新聞社長、小池唯夫毎日新聞社長、嶋中行雄中央公論社長、田中健五文藝春秋社長、平山征夫新潟県知事ら、日頃から宮尾文学を愛好する支持者が顔を揃えた[1]。岡田会長は製作に終始反対していたため、「パーティには出んぞ」と言っていたが[1]、初号試写で豹変し「『藏』の出来はええよ」と吹聴に回り、パーティの席上、「一色君は非常に素晴らしかった。皆さんは演技が良かったと思いでしょうが、上手いのではなくむしろ芝居を知らなかったから良かった。一生懸命に地で演っているから烈になり切れた。あの役、臭い芝居されたら見れたもんじゃない」などとぶった[1]。作品の舞台でロケも行われた新潟の新潟東映では、同年7月18日に地元披露試写会が行われ、同年9月30日より新潟県下3劇場で先行ロードショー[1]。9月14日には京都東映太秦映画村で「大ヒットさせる会」が[1]、第8回東京国際映画祭で9月27日に上映が行われた[11]。
ターゲットとする年齢層も高く、興行を不安視する声もあった[15]。前売り券の販売は困難を伴ったが[16]、松方は『首領を殺った男』に続き、人脈をフル稼働させて前売り券をたくさん売った[15]。今回は良作と評判もよく売りやすかった[15]。東映本体でも戦後50年記念映画『きけ、わだつみの声 Last Friends』と共にこの年の勝負作として社を上げての大動員をかけ、前売り券各50万枚、計100万枚を売り切った[10]。
作品の評価
興行成績
無事ヒット[14]。『AVジャーナル』は「クランク・イン直前にビリング問題で宮沢りえが降りた主役交代劇にはじまり、精力的なプロモーションが行われ、大人の女性観客をつかんだ。家のしがらみ、家族の絆と愛憎、当時を再現するダイナミックなセット、雪国の四季を捉えたカメラなど、映画の色々な分野のプロの仕事が凝縮されている」と評した[11]。
批評家評
大高宏雄は「岡田茂映連会長は、映画の日で『ついに邦画シェアは30%になりそうだ』と発言していたが、『当たった当たった』といっても、洋画のように30億、40億ということでもないし、邦画の当たり方は非常にフラットになってきている。アニメ2番組の他、『家なき子』『藏』『きけ、わだつみの声』がその10億前後の作品なんだが、その3本がどこか興行的に尻すぼみの感があった。そのどれもが諸手を挙げて面白いと言えない作品であったことが、観客の関心の度合いを弾けさせなかったんじゃないか。要するにその3本は突出していないことを言いたい。そもそも松方が血の出るような思いで前売り券確保を繰り広げたなんて、映画界にとっては恥なんだ。『藏』に関して言えば、"家"の思想に対する、作者たちの意識の薄さが作品のスケール感を小さくしている気がしてならない。"家"の思想とは、松方が体現している家と父権の、権力構造そのものの在り方で、この作品の物語の発火点はまずそこに指定されている。しかしそれを覆していく物語全体の力学がこの作品にはない。差異性が明快でないことによって、劇的要素がひどく脆弱になってしまう。劇的要素は、観客を映画に参加させていくためには、何としても必要なものだ。60年代の任侠映画や実録映画、俗悪路線や他の幾つかのシリーズものなど、数え挙げればキリがない東映の一連の作品群には、まさに劇的要素なるものの徹底追及にその魅力の一端があった。それが観客動員を根底的に支えていたのは間違いない。プログラムピクチュア健在なりし頃だから、それが可能だったなんて言い草は、それこそ犬の遠吠えになってしまう」などと評している[26]。
受賞歴
第19回日本アカデミー賞
優秀作品賞
優秀監督賞:降旗康男
優秀脚本賞:高田宏治
優秀主演男優賞:松方弘樹
最優秀主演女優賞:浅野ゆう子
優秀助演女優賞・新人俳優賞:一色紗英
優秀音楽賞:さだまさし・服部隆之
優秀撮影賞:森田富士郎
優秀照明賞:増田悦章
優秀美術賞:西岡善信
優秀録音賞:伊藤宏一
優秀編集賞:玉木濬夫
第69回キネマ旬報ベスト・テン
読者選出日本映画ベスト・テン第9位
新人女優賞:一色紗英
第50回毎日映画コンクール
日本映画優秀賞
男優助演賞:松方弘樹
スポニチグランプリ新人賞:一色紗英
宣伝賞最優秀賞
第20回報知映画賞
新人賞:一色紗英
第8回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞
石原裕次郎賞