モーツァルト指揮者、そしてオペラ指揮者としても定評のあった
ペーター・マークによる貴重な全曲録音!
モーツァルト:
歌劇『フィガロの結婚』全曲
アルド・ベルトッチ
マルチェラ・ポッベ
リタ・シュトライヒ、ほか
ペーター・マーク(指揮)
RAIナポリ・スカルラッティ管弦楽団
1959年9月22日ライヴ録音
24bit リマスター
『コシ・ファン・トゥッテ』(430352)、『イドメネオ』(430632)に続くペーター・マークのライヴによるモーツァルトのオペラ第3弾です。1956年モーツァルト生誕200年祭の行事としてボン市立歌劇場で指揮したモーツァルトのオペラ全作品の演奏により、一躍モーツァルトのスペシャリストとして知られるようになった矢先、1959年の録音。このときマークは39歳、国際的に活動し始め指揮者としての地位を不動のものとした時期の録音です。ベルトッチ、ポッべ、シュトライヒらの名唱も忘れられません。
スイスが生んだ世界的指揮者、ペーター・マーク(1919~2001)。
フルトヴェングラーから指揮者転向を勧められ、アンセルメのもとで研鑽を積みました。
微細な部分に至るまで十分に練り上げられた彼の誠実な演奏に画一的な演奏解釈は微塵もなく、
とりわけライフ・ワークとしていたモーツァルト演奏は歴史的とも言える名盤と申せましょう。
ただモーツァルト指揮者としてのみならず、欧米諸都市の劇場でオペラ指揮者としてのキャリアを築いていたマークですが、
そのオペラ録音は現在のところほとんど市場へは出回っていないため、ステレオ録音によるこのマーク指揮の『フィガロ』は、大変貴重なものとなっています。
ペーター・マークは神学者の父とヴァイオリニストの母の間に1919年5月10日、サンクト・ガレンで生まれました。
高名な神学者、カール・バルト(1886~1968)に神学と哲学を学ぶ一方、ポーランドの作曲家チェスワフ・マレク(1891~1985) に作曲とピアノを学び、アルフレッド・コルトー(1877~1962)のマスタークラスに参加しました。19歳の時にはルツェルン音楽祭のトスカニーニ指揮、ヴェルディのレクイエムでアシスタントを務めました。その後、ピアニストとしてフルトヴェングラーとベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を共演した際、フルトヴェングラーから指揮者転向を勧められ、オペラハウスのコレペティトールとして指揮者修行を開始。その後、スイス・ロマンド管弦楽団でアンセルメのアシスタントを務めました。
この時期、1950年に早くも英デッカと契約し、モノラル時代から録音を開始しています。
1952年から1955年にデュッセルドルフ歌劇場でカペルマイスターを務め、その後の4年間はボン歌劇場の音楽総監督を務めました。1959年にはコヴェントガーデン王立劇場の《魔笛》公演、グラインドボーン音楽祭の《フィガロの結婚》公演、1962年にはシカゴ・リリック歌劇場での《コジ・ファン・トゥッテ》公演を成功させ、モーツァルト指揮者としての世界的な名声を獲得しました。
1962年6月のフー・ツォンと共演したシューマン&ショパンのピアノ協奏曲の録音をもって、哲学的および宗教的研究に集中するため音楽活動を一時停止。約2年間、香港の近くの仏教の僧院で修行を積みました。
ペーター・マークの公式サイトには、上記のように1962年から1963年の2年間、音楽活動を停止したとありますが、マークはこの間、1962年9~10月、および1963年9~10月に来日し、日本フィルハーモニー交響楽団に客演しています。修行先の香港が地理的に近かったことで来日が実現したのでしょう。
ヨーロッパ楽壇復帰後の1964年にはウィーン・フォルクスオーパーの常任指揮者となり、1969年にはミラノのスカラ座にデビュー(マスネの《マノン》)、1972年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビューしました(《ドン・ジョヴァンニ》)。同じ年にはパルマ王立歌劇場の芸術監督、1974年にはトリノ王立歌劇場の芸術監督に就任しました。同時にフェニーチェ劇場でも指揮を執り、《トリスタンとイゾルデ》や《こうもり》など広範なレパートリーで成功を収めました。
上記したように、ペーター・マークのキャリアは主にオペラによって築かれました。(タワーレコード)
モーツァルト:
歌劇『フィガロの結婚』全曲
アルド・ベルトッチ
マルチェラ・ポッベ
ハインツ・ブランケンブルク
リタ・シュトライヒ
ビアンカ・マリア・カソーニ ほか
ナポリ・サンカルロ歌劇場合唱団
RAIナポリ・スカルラッティ管弦楽団
ペーター・マーク(指揮)
録音:1959年9月22日
Remastered 24bit/96kHz
コンディション良好。
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