25.3×18㎝
上冊 全 序2+本文31丁
下冊 全 本文19丁+出版目録2丁
【題箋】『鬼神論 上冊・下冊』
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上冊
【扉】
芙蓉高先生校訂
白石先生鬼神論
浪華書屋 文金堂
白石先生鬼神論序 2丁
寛政(十二1800)庚申秋九月望
天山眞逸撰 在印2
鬼神論 上 筑後守従五位下君美著 1丁表~31丁裏
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下冊
鬼神論 下 筑後守従五位下君美著 1丁表~19丁裏
文金堂製本目録 2丁
※「筑後守従五位下君美」は新井白石のことである。
【参考】[鬼神論]改訂新版 世界大百科事典に依る
新井白石の宗教論書。1800年(寛政12)刊。近世思想史上の一争点であった〈鬼神〉の存在について、人間の生死を〈陰〉〈陽〉二気の集合離散と見る立場から、人間の死後、〈陰〉は〈鬼〉、〈陽〉は〈神〉となって天地に帰ると合理的に説明しているが、一面では超自然の怪異もみとめている。ために後年、山片蟠桃(やまがたばんとう)の《夢の代》の無鬼論、平田篤胤(あつたね)の《鬼神新論》の有鬼論の双方から批判された。
【刊期等】
明和(七1770)庚寅冬御免
寛政(十二1800)庚申秋出板
大坂書舗
高麗橋通 藤屋彌兵衛
心齋橋通 河内屋太助
※全体的に、経年によるくすみ、汚れあり。
※糸切れあり。
※経年による紙の劣化、変色、斑点状の染み、多数あり。
※梱包材の再利用に努めています。ご理解下さい。
※なお、落札頂いた商品は、郵送を基本としておりますので、土・日、休日・祝日の発送は致しておりません。あらかじめご承知おき下さい。
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【参考】
白石生没から出板までを年次順に並べてみた。
・新井白石 明暦3(1657)年~享保10(1725)年間に執筆
・高 芙蓉 享保7(1722)年~ 天明4(1784)年間に校訂
・御 免 明和7(1770)庚寅冬 出板許可
・藤森弘庵
天山真逸 寛政11(1799)年~文久2(1862)年
・序 寛政12(1800)庚申秋九月望 序
・出 板 寛政12(1800)年庚申秋 出板
その結果、藤森弘庵(天山真逸)が同名異人のようである。
彼の生まれた寛政11(1799)年の翌年「序」を書いた事になるからだ。
因みに「執筆」から「御免」、「出板」まで20年の時が経っているのは、吉宗が将軍になってから彼は失脚、疎まれていたためか[白石の著書の多くは幕府の禁忌に触れるため、明治になるまで刊本は出ず、自筆本や写本が幕臣等の間で密かに伝わるのみだった(ウィキペディアに依る)]ことと関係あるのかもしれない。
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【鬼神論】解説
Mindblown: a blog about philosophy. に依る
日本名著には鬼神論がないので読み込むのに苦労する
現代語訳がないと細かすぎて読み取れないので
松野敏之の注釈(PDF)を添える
新井白石『鬼神論』考
1.「鬼神論」を考える
江戸時代に鬼神について論じた珍しい書。経書・史書・俗書から多く引用し鬼神の存在を積極的に論じる。
白石は鬼神をどのように解釈し、鬼神と世界との関わりをどのように捉えたかを考察する。
2.儒学者が考える「鬼神」
伊藤仁斎:朱熹の鬼神論を支持し、「気」の作用として鬼神を理解する
山崎闇斎:鬼神の神秘的な要素を積極的に認める
荻生徂徠:鬼神のような知り得ぬものに対して
無理矢理理解しようとすること自体を誤りとする
新井白石:亡くなった人の魂魄(肉体と精神)が
天地に還元されてゆく働きが「鬼神」
3.輪廻
白石は、生きている人が動物に変化したり、男女の性が変わるなどの変身譚を肯定する。輪廻や生まれ変わりについては否定する。
生まれ変わりが有ったとしても、それは鬼神が人に憑依した結果として理解する。生ける物全ては天地万物と通じており、天地・父母の気を受けて生まれてくる。父母のきを受けて「肉体」を形成し、そこに「知覚・精神」が備わる。
魂が永遠不滅として輪廻するのなら、父母は単に肉体を用意するだけの存在となり、魂に影響を与える存在ではなくなる。だから不滅ではない。
4.祭祀の対象
白石は「天地ー父母ー我」の繋がりを重視し、自身の父祖を祭ることが重要とする。仏を祭るのは、人が罪から免れ、極楽往生したいという願いだけ。
人には祭るべき自分の祖霊がいるにも拘らず、自分があることの感謝の念を祖霊に対して抱くことなく、利欲の心から仏を祭ることへと流れてしまっている。
5.家
仏教による弊害を説く。
仏教は輪廻の思想、自分が過去にした善報・悪報が現世の報いとなって現れる
儒教は自分が今幸いであれば、それは祖先からの積善のおかげと認識する
善行・悪行は自分だけの問題ではなく、家・子孫にまで波及する大きな問題と考えている。
投稿日 2017年3月31日
カテゴリー:ブクログ、 新井白石
投稿者:ブクログ