インドネシア・パプア州マンベラーモ流域の“ブラジャー”の原型?
インドネシア最東端のパプア(旧イリアンジャヤ)州。北部の湿原地帯を東から西へ向かうイーデンブルグ川、そして西から東へ向かうルファエール川。二つの巨大な川はやがて合流してマンベラーモ川になり、北へ向かい太平洋へ出ます。このルファエール川の最上流部には、近辺の人々から“フォリタ・ドフ(女の湖)と呼称されている、地図に現れない大きな湖があると言われています。衛星画像から推測しますと、おそらく雨季の大洪水の時期だけ出現する湖のようです。
真偽はともかく、この湖に暮らす民族は、外部の人々によって“女族”と信じられています。女族が使用していたとされる弓矢を見ますと、西部ニューギニアのどの地域のものと比べても、相対的に長い矢を使用していることが特徴です。また、矢じりが一般的な木製や竹(もしくは葦)製ではなく、動物の骨を用いている点も、際立つ特徴です。なぜ、そのような攻撃的な弓矢を用いるのかについては、ルファエール川中流域の人々は「狩猟以外の目的として、部族戦争や略奪戦争が起きている証拠」と言います。
本当に“女族”が存在しているのかどうかについては、将来の学術調査を待たなければなりませんが、この“女の湖”の入り口付近で遭遇した女性たちから、物々交換で入手した、ブラジャー状の衣服が画像のものです。1979年後半、同地域にワニ狩りを目的にカヌーで入った州都ジャヤプラ在住のグアン・サヨリ氏一行が入手したものです。これを衣服と分類すべきか、それとも鎧(よろい)もしくは単なる装飾と捉えるべきなのかは未だ確定していませんが、マネキンで着用してみると、貫頭衣のような着用方法で着ける胸当てとの印象を強く持ちます。この地域では、下衣はいわゆる腰蓑(腰みの)で、植物繊維で作ります。しかし、西部ニューギニア全土で、女性がこのような上衣を着用する地域はありません。そこで考えられるのは、この地域では部族戦争に女性が参加し、その行動的な動きにおいて乳房を固定するための上衣として生まれ、やがて審美性や女性の象徴性の観点から通常の上衣になった、とする推測です。ヒモ部分の長さの差異は、着用していた女性が、左半身が発達していたか、あるいは赤ちゃんへの授乳などの必要性からとも思われます。いずれにせよ、1979年当時、まだ鉄器が入らず、いわゆる石器時代の時を過ごしていた“女の湖”に暮らす人々が、ブラジャーの原型とも呼べる上衣を着用していたことは、下着の歴史を研究する上で何らかのヒントを与えてくれるものと思われます。
サイズは、下のラインの横幅が焼く48cm、上側が約39cm、幅はおよそ10cm、肩ヒモは、それぞれ約47cm、42cm。重さは約188グラム。経年で、幾つかの数珠球が落ちています。素材は植物繊維で、芭蕉族に類する葉柄から得られる繊維と思われます。繊維の紡ぎは、下より、上よりともにZ方向に撚られた双子糸で、線状態から平面体への展開は方法はループ編み。茶系とグレー系の数珠を編みこんでいます。学術資料としての価値は極めて高いと思いますが、やはり現地での学術調査の実施が待たれることは論を待ちません。送料はこちらで負担致します。
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