【自序】
泰山阿部熹作著
省みれば今より四十年前、即ち大正三年度に、四柱推命學に必要である此種萬年を公開し其後再度の増補にて昭和五十年迄を追加發表せし事は既に御承知の筈である。所が戦前絶版となり、各位の需 要多きも遺憾ながら謝絶の止むなき状態であつた。所が今回京都書 院主の依囑により再び鑑を公開なす光榮に接したのである。
されば斯の如き好機會に恵まれたるを以て一歩を前進し昭和七 十五年迄とし、ほ從來の方式と異なり新舊を一目して看手し得るやう仕組み、加ふるに七曜及び九星を配すべき標準を其月の一日に記入し、以て陰陽各家の意に添ふべき事に務めたり。
先著述は舊に對して充分の關心を怠り、爲めに誤記せる場合も 其後發見せるを以て今回は精査の上推歩、完璧を期せり。
また暦學に對する重要項目は年表の後記に有益なる學上修得 し置くべき原則を簡にして要あるを尊び泄れなく解説を試みたり。 宜しく坐右の一助たらん事に努めたり。
【索引より】
本鑑に對し、索引を列記し實用上遺憾なきを期せり。
一、本書は明治十年より昭和七十五年迄百二十三年間を集せるも のなり。
一、新暦を標準とし、其月の節入日時を記す。
二、其月一日の七曜と九星、干支と順に列記せり。
三、新舊の表中アルハベットの數字は新暦の日、和文の數字は舊を示せる故に新日數の左にあるは其に該當する舊なり。
四、舊の閏月は月數をゴヂックを以て記入してある。
五、七曜は一日の七曜より各々日數に當飲めて求むべき日の七曜を豫知すべき者とす
六、九星は陽遁が順、陰道期は逆に一日より七曜を求むる方法と同一に倣へば直ちに推究し得る。
七、干支も同やうの方法により而して後表にある甲子干支表を利用なすが便宜なり
八、生月及び生時に天干を附すことを遁干と謂ひ各早繰圖を参照す れば直ちに判明せん。
九、其年の九星、月の九星、配置法其他はすべて後章に詳細理解すべし。
十、積年とは最近の元元治元年甲子を一としそれより累加せるものなり。
積年數は其年の干支の數と同一であつて六十數以上は六十律と稱してこれを除外すればよい。たとへば昭和五十五年は積年百十 七數なり、六十律を除外すれば五十七なり、六十甲子納音五行表に て五十と七と加合する所は庚申年と知る。他は何れも此の法によるべし。
十一、其年の九星を知るには積年を一とけたに合算し其數を十より 引き殘りに一を加へる時は其年の九星を豫測し得るなり。たとへば昭和二十九年の積年は九十一なり、一とけたに合算すれば一と なる。一單位とし十より引けば殘り九なり、九に一を加へて再び一 となる、故に一白年と知る。昭和三十年は積年九十二なり、一とけた に合算すれば二なり、十より引けば八殘りこれに一を加へて九と なる故に昭和三十年は九紫年なり。何れもこれに倣ふべし。
…
【あとがきより】
大正四年發行せし「萬年鑑」は文政十一年より増補を重ねて昭和五十年迄を推歩し是を著述公開せしが終戦直後より絶版となり再發行の志望を有せしも諸物價昂騰し莫大なる資本を必要となす爲に容易に實現し得ざりき。然る所、今回、藤岡京都書院主、義的精神を以て莫大なる資本を投資し、ほ進んで昭和七十五年迄の萬年鑑を第一篇とし、四柱推命學は六巻、六壬神課天文易學を五巻、合して都合十二篇に分類し「阿部泰山全集」と銘打て愈々大發足なすの光榮と好機會に接せし事を心より欣快と感謝の念禁じ得ず、四十餘年に渉りて、凡百の秘法を創見せるものを世に送るを得た事は此上もなき喜びに堪へず。ほ前記四柱推命學は今日大衆のよく知る所にて如何なる運命學術も斯學には断じて追従し得ざる事は今更喋々の要なし。また六壬神課天文易學は我邦にては未だ何人も知らざる神秘的秘占である。余は昭和四年六壬神課天文易學の初歩を教導なす目的 を以て「吉凶開發傳」上下二巻を公開せし者が我國初めての出版であ る。其後直接門下生のみに敎授せし幾多の秘法原則を全集中に納め たるものなれば出版に對し協力御援助を翼望し以て萬年書の擱 筆に及び謹んで一言御拶挨申上げたる次第なり。
昭和29年 泰山識
【目次】