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E3031【尚美堂】純銀茶壺 千載一遇の邂逅 月影宿す銀壺 天心と探る幽玄の美 重量166g 高さ10cm 幅67.6mm
E3031【尚美堂】純銀茶壺 千載一遇の邂逅 月影宿す銀壺 天心と探る幽玄の美 重量166g 高さ10cm 幅67.6mm [浏览原始页面]
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以下、所謂ブラクラ妄想ショートショートです~~

天心、銀壺に日本の魂を見る
序章:美神の降臨 茶室に射す一条の光
ようこそ、我が陋屋(ろうおく)へ。いや、今日は陋屋にあらず、美の神がしばし羽を休める聖域とでも申そうか。君の来訪を心待ちにしておった。何故かと問うか? それは、このわし、岡倉覚三(天心)の胸を高鳴らせる「物」が、この手に在るからじゃ。言葉を尽くしても語り切れぬ、されど語らずにはおれぬ、そんな逸品を前にして、独り占めはあまりにも勿体ない。美とは、分かち合うことでさらにその輝きを増すものだからな。
茶の湯とは、単なる喫茶の道にあらず。それは生活の芸術、日常に潜む詩情を探求する道であり、宇宙の理(ことわり)を一杯の茶に見出さんとする、ささやかながらも深遠なる人間の営みじゃ。利休居士が説いた「和敬清寂」は、単なる標語ではない。それは、混沌とした世にあって、人がいかにして内なる調和を保ち、真の自己と向き合うかを示す、魂の指針なのじゃ。
今日、君の眼に触れさせたいのは、ただの道具ではない。それは歴史の息吹を纏い、職人の魂が込められ、そして何よりも、日本の美意識そのものが結晶したかのような存在。さあ、心の準備はよいかな? 美の深淵へ、共に分け入ろうではないか。
第一部:銀光の胎動 邂逅と予感
第一章:尚美の遺産、純銀の響き
(わしは厳かに、しかしどこか子供のような興奮を隠しきれぬ面持ちで、桐の箱を開ける。中には、紫の古袱紗(こぶくさ)に優しく抱かれた、一つの銀色の壺が鎮座しておった。わしはそれを恭しく取り出し、君の前に差し出す。)
これこそが、わしの心を捉えて離さぬ「尚美堂」作、純銀の茶壺じゃ。品番E3031と刻まれておる。見よ、この静謐(せいひつ)にして気高い輝きを。まるで、暁の東雲(しののめ)の光を、あるいは深更の月の雫を、そっと掬(すく)い上げて固めたかのようではないか。
「尚美堂」…その名を口にするだけで、わしの胸には明治という時代の熱気が蘇る。西洋文化の怒涛がこの国を洗い、古き良き伝統が塵芥(ちりあくた)の如く扱われかねなかったあの時代。「美を尚(たっと)ぶ」という、そのあまりにも直截(ちょくせつ)で、しかし確固たる意志を社名に冠した人々の気概を思うと、わしは襟を正さずにはおれん。彼らは、日本の美の命脈を絶やしてはならぬと、その一身を賭して立ち上がったのじゃろう。この茶壺は、その精神の正統なる後継者と言えよう。
銀という素材は、古今東西、王侯貴族から文人墨客に至るまで、多くの人々を魅了してきた。金のような絢爛(けんらん)たる華やかさとは異なる、内に秘めたる高貴さ。そして何よりも、その清浄無垢なる輝きは、茶の湯の「清」の精神と深く響き合う。古人は銀器に水を注げば水質を浄化し、毒を検知すると信じた。茶葉という、自然が生み出した繊細な芸術品を納めるに、これほどふさわしい素材があるだろうか。
この茶壺と初めて対面した時の衝撃は、今も鮮明じゃ。それは、フェノロサ君と古寺を巡り、打ち捨てられた仏像の中に日本の美の真髄を発見した時のような、魂を揺さぶる感動であった。言葉は無用。ただ、その存在が全てを語っておった。「ああ、これぞ日本だ」と、わしは心の中で叫んだのじゃ。
第二章:掌中の宇宙、均衡の神秘
さあ、手に取ってみるがよい。遠慮はいらぬ。
(君が恭しく茶壺を受け取ると、その顔に驚きと感嘆の入り混じった表情が浮かぶ。わしは満足げに頷く。)
どうじゃ、この重みは。166グラム。数字だけを聞けば、取るに足りぬ重さかもしれん。しかし、実際に掌に載せると、確かな存在感と共に、不思議なほどの安定感が伝わってくるはずじゃ。軽すぎれば頼りなく、重すぎれば野暮になる。この絶妙な均衡こそ、素材を知り尽くし、使い手の所作を深く洞察した名工の証じゃ。
そして、この姿。高さ10センチ、最大幅約67.6ミリ。小ぶりながらも、その内に凝縮された美のエネルギーは計り知れぬ。鶏卵を思わせる柔らかな曲線は、生命の根源的な形を彷彿とさせ、見る者の心を和ませる。しかし、底部はどっしりと安定し、卓上に置けば、あたかもそこが一つの完結した小宇宙であるかのような静謐なオーラを放つ。
この丸みは、単なる審美的な遊戯ではない。茶葉という繊細な賓客を、傷つけることなく優しく包み込み、その魂である香りを逃さぬための、最も合理的かつ自然な形状なのじゃ。「物象天成(ぶっしょうてんせい)」――万物は自然にその形を成す、という言葉があるが、この茶壺のフォルムは、まさにその理に適っておる。
日本の美は、「用の美」に一つの極致を見る。ただ鑑賞されるためだけの存在ではなく、実際に使われることでその生命が吹き込まれ、使い手と共に時を重ねることで、さらに深い味わいを増していく。この茶壺は、その「用の美」の哲学を、静かに、しかし雄弁に語りかけてくる。眺めるだけでも心は満たされるが、ひとたび茶葉を納め、茶を点てる所作に用いられれば、水を得た魚のように、その真価を遺憾なく発揮するであろう。
指先で、そっとその肌に触れてみよ。ひんやりとした銀の感触が、心地よい緊張感と共に、君の五感を目覚めさせるはずじゃ。その表面には、意図的に施されたであろう微細な凹凸がある。これは、後ほど詳しく語ろう。この肌合いこそが、この茶壺に無限の表情と深遠なる奥行きを与えておるのじゃ。
第二部:銀魂の覚醒 素材と技の交響
第三章:純銀の誓約、清冽なる魂魄
この茶壺は「純銀製」。その言葉の響きには、一片の妥協も許さぬ職人の矜持(きょうじ)と、素材への絶対的な信頼が込められておる。純銀とは、不純物を極限まで排した、銀本来の姿。なぜ、そこまで純粋さにこだわるのか。それは、茶の湯が求める至純の精神と、茶葉という自然の恵みへの限りない敬意の表れに他ならぬ。
銀の持つ優れた抗菌性は、古来より知られるところ。茶葉は生き物じゃ。湿気や異臭を嫌い、清浄な環境でなければ、その繊細な香味はたちまち損なわれてしまう。純銀の茶壺は、茶葉にとって理想的な聖域。外界の不浄から茶葉を守り、その生命力を長く保たせる。
さらに、銀は熱伝導性に優れる。これは、茶壺にとって何を意味するか? それは、急激な温度変化から茶葉を保護し、壺内部の環境を安定させるということじゃ。春の朝露に濡れた若葉のような繊細な香気も、秋の夕陽を浴びて熟成した芳醇な風味も、この銀の壺の中で、穏やかにその個性を開花させるであろう。
そして何よりも、この純銀だけが放つことのできる、深遠にして柔らかな光輝。それは、磨き上げられた鏡のように全てを映し出すのではなく、月光のように対象を優しく包み込み、その本質的な美しさを引き出す光。華美に走らず、しかし確固たる品格を湛える。それは、曇りなき心、すなわち「明鏡止水(めいきょうしすい)」の境地を象徴しておるかのようじゃ。
使うほどに、人の手の温もりや空気と触れ合い、銀は徐々にその色合いを深めていく。これを「経年変化」と人は呼ぶが、わしは「魂の熟成」と呼びたい。時が経つほどに、銀は使い手と一体となり、唯一無二の表情を刻んでいく。それは、人と物とが織りなす、静かで美しい物語なのじゃ。この茶壺には、「質実剛健(しつじつごうけん)」という言葉が真にふさわしい。飾り気はないが、その本質は純粋で、力強く、そして何よりも美しい。
第四章:肌目の秘奥、霰か星影か
再び、この茶壺の表面に意識を集中してほしい。先ほども触れたが、この肌合いこそ、この茶壺の芸術性を飛躍的に高めておる、重要な要素じゃ。
(わしは、茶壺を光にかざし、その角度を微妙に変えながら君に見せる。)
これは、単なる偶然の産物ではない。高度な技術と美的感覚を持つ職人が、意図して生み出した「景色」じゃ。まるで、極寒の夜空から舞い降りた細氷(さいひょう)が銀の表面に凍り付いたかのようでもあり、あるいは、遠い星々の微かな瞬きを写し取ったかのようでもある。あるいは、名工が魂を込めて一打一打打ち込んだ鎚目(つちめ)が、気の遠くなるような時間を経て、このような幽玄な肌合いを生み出したのかもしれん。
この微細な凹凸が、光を捉えては乱反射し、茶壺に無限の陰影と表情を与える。それは、能面のようじゃ。角度や光の加減によって、時に喜びを、時に悲しみを、時に深い瞑想を表す能面のように、この茶壺もまた、見る者の心境や周囲の環境に応じて、その相貌(そうぼう)を変える。
これがもし、鋳造によって生み出された肌(はだえ)であるならば、その原型を彫り上げた職人の美的感覚と、それを忠実に再現した鋳造技術の高さに、ただただ驚嘆するばかりじゃ。もしこれが鍛金(たんきん)による鎚目であるならば、そこに込められた職人の時間と精神力は、想像を絶するものがある。いずれにせよ、この肌合いは、この茶壺を単なる容器から、一個の芸術作品へと昇華させておる。
「玲瓏透徹(れいろうとうてつ)」――玉が透き通るように美しく輝く様を言うが、この銀の肌合いが光を受けて煌めく様は、まさにその言葉を体現しておる。しかし、その輝きは決してけばけばしいものではなく、どこか湿り気を帯びた、日本的な奥ゆかしさを感じさせる。これこそが、わしが愛してやまない「日本の美」なのじゃ。この肌合いは、視覚的な美しさだけでなく、手に持った時の滑りにくさ、指紋の目立ちにくさといった実用性をも兼ね備えておる。美と用が見事に融合した、これぞ日本の工芸の粋と言わずして何と言おうか。
第五章:蓋合の玄妙、一糸乱れぬ呼吸
茶壺の生命線の一つは、蓋(ふた)にある。茶葉の香りと鮮度を保つためには、寸分の狂いもなき密閉性が不可欠じゃ。この尚美堂の茶壺の蓋を見よ。
(わしは、ゆっくりと蓋を開けてみせる。金属同士が擦れる音はほとんどなく、まるで絹を引くように滑らかに蓋が持ち上がる。)
この蓋と身の合わせ目、いわゆる「合口(あいくち)」の精巧さには、ただ息を呑むばかりじゃ。機械では到底到達し得ない、熟練した職人の指先だけが生み出せる神業。蓋を閉める時には、まるで磁石に吸い寄せられるかのように、ぴたりと、しかし優しく本体に収まる。この時、内部の空気がわずかに圧縮される感覚が手に伝わる。これこそが、高度な密閉性の証左じゃ。
この茶壺は、外気を完全に遮断し、湿気や異臭の侵入を許さない。茶葉は、この銀の聖域の中で、穏やかに呼吸し、その繊細な魂を損なうことなく、最高の状態で保存される。茶壺としての最も根源的な使命を、この蓋は完璧に果たしておるのじゃ。
蓋のつまみ(の部)もまた、全体の造形美と完璧に調和しておる。指先にしっくりと馴染み、開閉の所作を優雅に演出する。この小さな部分にも、設計者の美意識と使い手への配慮が凝縮されておる。そして、蓋自体の程よい重みが、開閉時の安定感と、確かな手応えを生み出しておる。
総重量166グラム。その内訳を詮索するのは野暮というもの。重要なのは、この茶壺全体が、あたかも一つの生命体であるかのような、完璧な均衡を保っておるという事実じゃ。手にすれば、その心地よい重みと安定感が、使う者に深い信頼と安心感を与える。これぞ「名詮自性(みょうせんじしょう)」――名は体を表す、という言葉通り、信頼に足る名品は、その姿形からして信頼感を醸し出すものなのじゃ。
第三部:一滴の宇宙 茶禅一味の境地
第六章:幽香の招き、無言の説法
さあ、目を閉じて想像してみるがいい。この気高き銀の壺に、君が選び抜いた最上の茶葉が、そっと納められる光景を。
霧深き山里で育まれた玉露の、海の香りを秘めた濃厚な甘露。陽光を浴びて伸びやかに育った煎茶の、青葉若葉を思わせる清冽な渋みと香り。あるいは、丹念に焙じられたほうじ茶の、心を解きほぐす香ばしい薫香。どのような茶葉であろうとも、この銀の壺は、その個性を尊重し、秘められた可能性を最大限に引き出してくれるに違いない。
蓋を開けるたびに、ふわりと立ち昇る芳香。それは、これから始まる茶の時間が、いかに豊かで満たされたものであるかを予感させ、俗塵(ぞくじん)にまみれた心を浄化してくれるかのようじゃ。一匙(ひとさじ)の茶葉を急須に移す、その何気ない所作の一つひとつが、この茶壺と共にあることで、儀式のような神聖さと、深い精神性を帯びてくるのを感じぬか。
茶の湯の根底には、「一期一会(いちごいちえ)」の精神が脈々と流れておる。この出会い、この一杯は、二度と繰り返されることのない、唯一無二の瞬間である。そう悟るからこそ、亭主は全身全霊を込めて茶を点(た)て、客はその一滴に宇宙の真理を感じ取ろうとする。
この銀の茶壺もまた、その「一期一会」の哲学を体現しておる。日々、光の角度や使い手の心持ちによって、その表情を微妙に変化させる。そして、この壺から取り出される茶葉もまた、その時々の気候、水、そして淹れ手の心と響き合い、常に新しい味わいを生み出す。同じものは二つとない。その刹那(せつな)の美しさと尊さを、この銀壺は無言のうちに説いておるのじゃ。
「画竜点睛(がりょうてんせい)」という故事がある。この茶壺は、君の茶の時間を、まさに画竜点睛の如く完成させる、最後の、そして最も重要な一点となるやもしれん。これ一つあるだけで、日常の喫茶が、精神を高める茶事へと昇華する。そんな不可思議な力を、この銀壺は秘めておるように、わしには思えるのじゃ。
第七章:利休の影、不易の美
茶の湯の歴史を遡れば、幾多の茶人たちの情熱と創意工夫が、大きな河の流れとなって現代にまで続いておる。村田珠光が「侘び」の精神の萌芽(ほうが)を見出し、武野紹鴎がそれを育み、そして千利休が、華美を排し、簡素にして深遠なる「わび茶」として大成させた。
利休は、舶来の高価な名物道具ばかりを尊ぶ当時の風潮に異を唱え、名もなき職人の手になる国産の道具や、時には不完全で歪(いびつ)な器にも、独自の美を見出し、茶席に取り入れた。それは、物の表面的な価値や流行に惑わされず、その本質を見抜く「眼」を持つことの重要性を示しておる。
この尚美堂の純銀茶壺は、現代の工芸品でありながら、その精神において、利休のわび茶の心と深く共鳴しておる、とわしは観る。純銀という素材は、確かにそれ自体が高価なものかもしれん。しかし、この茶壺が放つオーラは、単に素材の価格に由来するものではない。それは、計算され尽くした形態の美、職人の超絶技巧が生み出す肌合いの妙、そして何よりも、茶を愛し、茶の時間を真に大切にする者のために作られたという、その「志」の高さにこそある。
時代は常に移ろい、茶の湯の様式もまた、変化を続けてきた。しかし、その核心にあるものは不変じゃ。一杯の茶を通じて、人と人が心を通わせ、自然と一体となり、自己の内なる静寂と向き合う。この銀の茶壺は、伝統を踏まえつつも、現代の生活空間に違和感なく溶け込み、使う者の個性を静かに映し出す。これぞ、「温故知新(おんこちしん)」――古きを訪ねて新しきを知る、という精神の、まさに輝かしき実践と言えようではないか。
第八章:和敬清寂の庭、銀壺に映る月
「和敬清寂(わけいせいじゃく)」。茶道の四規として、あまりにも有名なこの言葉は、茶の湯が目指す理想の境地を、簡潔に、しかし余すところなく示しておる。
「和」は、調和。亭主と客、人と自然、道具と空間、森羅万象が和やかに融け合う様。
「敬」は、尊敬。互いを敬い、万物を敬い、一碗の茶に込められた宇宙を敬う心。
「清」は、清浄。心身ともに清らかであり、茶室も道具も一点の曇りなく清められていること。
「寂」は、寂静。動中の工夫、不動の心。いかなる時も動じない、静かで落ち着いた、しかし内にエネルギーを秘めた心の状態。
この純銀の茶壺は、この「和敬清寂」の四文字を、静かに、しかし力強く体現しておるように、わしには感じられるのじゃ。
その優美な曲線は、周囲のあらゆるものと柔らかく「和」し、どんな茶器とも、どんな空間とも見事に調和する。純銀の清冽な輝きは、それ自体が「清」浄であり、見る者の心をも洗い清めてくれるかのようじゃ。丹精込めて作られたこの茶壺を慈しみ、大切に扱う行為は、自ずと物への「敬」の念を育む。そして、この銀壺を前に、静かに茶と向き合う時間は、我々を「寂」――すなわち「閑寂幽雅(かんじゃくゆうが)」の境地へと誘(いざな)うてくれる。
我々の日常は、喧騒と雑事に満ち、心休まる暇(いとま)も少ない。そんな中で、この銀壺と共に過ごすひとときは、あたかも月光の降り注ぐ静寂の庭に独り佇むような、清澄な時間をもたらしてくれるであろう。蓋を開け、茶葉を掬(すく)い、湯を注ぐ。その一連の所作に没頭する時、心は自ずと静まり、思考は研ぎ澄まされ、日常の些事(さじ)から解き放たれる。
「清風明月(せいふうめいげつ)」――清らかな風と明るい月。転じて、俗世を離れた清らかで美しい風情を指す。この銀壺が君の茶の座にもたらすものは、まさにそのような境地であろう。この銀壺の表面に映るのは、単なる周囲の景色ではない。それは、持ち主の心の在り様であり、茶の湯の深遠なる精神世界そのものなのかもしれんな。
第四部:天心の眼差し 東洋の覚醒、日本の矜持
第九章:『茶の本』に流るる銀の脈動
わし、岡倉天心がかつて英文で著した『茶の本 (The Book of Tea)』。あれは、西洋の物質文明に席巻されつつあった世界に向けて、東洋、なかんずく日本の精神文化の深さを、茶の湯というレンズを通して伝えんとした、わしの魂の叫びでもあった。あの書の中で、わしは茶の湯を「不完全なるものへの崇拝」であり、「人生という不可解なもののうち、何か美しきものを見出さんとする芸術」と記した。
今、この尚美堂の銀壺を前にして、わしが『茶の本』に込めた思想が、百年の時を超えて、この銀の輝きの中に脈打っておるのを感じるのじゃ。西洋が合理性と完全性を追求するのに対し、日本の美意識は、むしろ不完全さ、非対称性、そして移ろいゆくものの中にこそ、真の美を見出してきた。この銀壺の、人の手仕事の温もりを残す微細な肌合い、使うほどに深まる銀の古色(こしょく)。それらは、冷徹な機械が生み出す完璧さとは対極にある、有機的で、生命の息吹を感じさせる美しさじゃ。
『茶の本』で、わしは茶室を「空虚の聖堂」と呼んだ。余計な装飾を一切排した、簡素極まる空間だからこそ、そこに無限の精神的広がりが生まれ、人の心は解き放たれる。この銀壺もまた、その洗練された単純さの中に、豊かな「間(ま)」と「余白」を秘めておる。これ見よがしな装飾を潔しとせず、素材そのものの美、形態そのものの力を最大限に引き出す。これぞ、日本の美学の精髄、「幽玄枯淡(ゆうげんこたん)」の境地と言えよう。
西洋の銀器が、しばしば富と権力の象徴として、過剰なまでに華美な装飾を誇示するのに対し、この日本の銀壺は、あくまでも「用」に徹し、使い手の心に静かに寄り添うことを本分とする。それは、自己を強く主張するのではなく、周囲と調和し、全体の美を高めるという、東洋的な円融の思想の具現化なのじゃ。
第十章:文明開化の黎明、守り育てし美の灯
明治という時代は、日本にとって未曾有の変革期であった。西洋文明の激流が国中を覆い、数千年来の伝統的価値観は根底から揺さぶられた。わし自身もまた、その渦中にあって、フェノロサと共に日本の古美術の価値を再発見し、その保存と復興に奔走した。多くの文化遺産が散逸し、あるいは忘れ去られようとする中で、我々が守り抜かねばならなかったもの。それは、日本人が悠久の歴史の中で育んできた、世界に類を見ない独自の美意識であり、崇高なる精神性じゃ。
尚美堂が産声を上げたのも、まさにその激動の時代。彼らが「美を尚ぶ」という名を掲げた背景には、そうした時代の危機感と、日本の美の灯火(ともしび)を絶やすまいとする、燃えるような使命感があったに相違ない。この純銀の茶壺は、その創業の精神を現代に受け継ぎ、さらに洗練された形で結実させた、稀有なる存在と言えよう。
近代化とは、ややもすれば効率と生産性を絶対視し、手仕事の温もりや、時間をかけて育まれる「味わい」といったものを軽んじる傾向がある。しかし、人間にとって真に豊かな生活とは、果たしてそれだけであろうか。むしろ、非効率の内に潜むもの、目に見えぬ価値の中にこそ、我々の魂を潤す泉があるのではないか。この銀壺は、そのことを静かに、しかし力強く我々に問いかけてくる。
「不易流行(ふえきりゅうこう)」とは、松尾芭蕉が俳諧の奥義として説いた言葉じゃ。万古不易の本質的なものと、時代と共に変化し流転する新しいものとを、共に尊び、調和させるべきだという教え。この銀壺は、まさにその「不易流行」の精神を体現しておる。銀という素材の普遍的な美、茶の湯の変わらぬ精神(不易)を堅持しながらも、現代のライフスタイルに適合する洗練されたデザイン(流行)を纏(まと)うておる。これこそが、伝統を単なる過去の遺物とせず、未来永劫へと繋いでいく原動力となるのじゃ。
第十一章:日常に咲く銀花、心の止まり木
この銀壺は、決して美術館のガラスケースに鎮座ましますためだけに作られたのではない。むしろ、日々の暮らしの中で、愛され、使われることによってこそ、その真価を余すところなく発揮するであろうと、わしは確信しておる。
慌ただしい一日の始まりに、一杯の茶で心を整える。午後の静かなひとときに、書見の傍らで、その輝きを愛でる。あるいは、一日の務めを終えた夜、この銀壺と向き合い、静かに自己と対話する。
この銀壺が一つそこにあるだけで、見慣れた日常の風景が、ふと特別な意味を帯びてくる。いつもの一杯の茶が、より深く、より芳醇な味わいとなる。それは、荒涼とした砂漠に咲いた一輪の気高い花のように、我々の心に清冽な潤いを与え、日々の生活を豊かに彩ってくれる存在となるであろう。
現代社会は、情報の洪水に押し流され、我々は常に何かに急き立てられているような感覚に苛(さいな)まれる。そんな時代だからこそ、意識して「何もしない時間」「心静かに過ごす時間」を持つことの重要性は、いくら強調してもしすぎることはない。この銀壺は、そのような貴重な時間を作り出すための、最良の触媒となってくれるはずじゃ。
茶を淹れるという一連の所作は、一種の動的瞑想にも例えられる。湯を沸かし、茶葉を計り、湯相(ゆそう)を見極め、急須に静かに湯を注ぐ。そして、茶葉がゆっくりと開いていくのを、息を凝らして待つ。この無心の集中が、心を鎮め、思考を明晰にする。この銀の茶壺は、そのプロセスをより神聖な、より意味深いものへと高めてくれる。それは、多忙な現代人にとって、まさに「心の止まり木」、「魂の避難所(アサイラム)」となるのじゃ。
第五部:銀光の未来 時を超えて繋ぐ絆
第十二章:銀のエイジング、魂の年輪
先にも触れたが、銀という金属は、時と共にその表情を深めていく、希有な性質を持つ。新品の時の、純粋無垢な輝きもまた格別じゃ。しかし、人の手に触れ、日々の茶の湯の営みの中で使われるうちに、空気中の微細な成分と反応し、徐々に落ち着いた、深みのある古雅な色合いへと変化していく。これを「銀が育つ」と言うが、わしはこれを「魂の年輪が刻まれる」と表現したい。それは決して劣化ではなく、使い手との間に紡がれた時間の物語が、銀の表面に美しいパティナ(古艶)として結晶するのじゃ。
この茶壺もまた、君の手に渡り、日々の生活の中で慈しまれることで、少しずつ、しかし確実にその表情を変えていくであろう。それは、君とこの銀壺とが共に過ごした、かけがえのない時間の記憶そのもの。まるで、古寺の使い込まれた茶器が、幾星霜を経て、えもいわれぬ風格と霊気を纏うように。
時折、柔らかき布で優しくその肌を撫でてやるがいい。すると、内側から滲み出るような、しっとりとした輝きを取り戻す。その手入れの時間すらも、この銀壺との静かな対話であり、愛着を深める貴重なひとときとなるじゃろう。道具とは、魂を込めて接すれば、必ずやそれに応えてくれるもの。それは、単なる「モノ」を超え、心を通わせる「友」のような存在へと昇華していくのじゃ。
「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」という言葉は、苦難を乗り越えて目的を達成する様を言うが、この銀壺が経年変化で深みを増すのは、むしろ「歳月不待人(さいげつひとをまたず)」という真理の中で、日々の穏やかな営みが自然と熟成させた果実のようなもの。焦らず、気負わず、ただ静かに時を重ねることでしか得られない、奥ゆかしくも気高い美。それこそが、この銀壺が秘めたる、もう一つの深遠なる魅力なのじゃ。
第十三章:新たなる物語の黎明、君と刻む銀の詩
この銀壺は、これまでどのような歴史の風雪に耐え、どのような人々の手に渡り、どのような茶の湯の物語を見つめてきたのであろうか。あるいは、これはまだ、真の主(あるじ)との出会いを待ちわびている、生まれたての純粋な魂なのかもしれん。
尚美堂の工房で、名も知れぬ職人たちが、どのような祈りを込めて、この銀の塊に生命を吹き込んだのか。この壺が、どのような高貴な茶葉をその内に抱き、どのような茶人に愛されることを夢見ていたのか。
そして、今、この銀壺が君の手に渡るとしたら、それは新たなる物語の黎明(れいめい)を意味する。
君がこの銀壺で淹れる最初の一服の茶は、どのような香りを放ち、どのような味わいをもたらすのであろうか。
君がこの銀壺と共に過ごす日々は、どのような光と影の記憶を、その銀色の肌に刻み込んでいくのであろうか。
親しき友との心温まる語らいの席で、あるいは孤独を慰める静謐な夜の一時に。この銀壺は、常に君の傍らにあって、その時間を見守り、無言の励ましを与えてくれるであろう。
そして、いつの日か、遠い未来に、この銀壺は君の手を離れ、また別の人へと受け継がれていくのかもしれぬ。その時、この銀壺には、君との数多(あまた)の物語が、消えることのない銀の詩として深く刻み込まれていることだろう。それは、目に見える色の変化だけでなく、目には見えぬ、温かくも切ない記憶の集積として。
美術品とは、単に消費されるために存在するのではない。このようにして、人から人へと、時代から時代へと受け継がれ、そこに新たな物語を重ねていくことで、その価値は無限に増殖していくものなのじゃ。この尚美堂の純銀茶壺は、まさにそうした「百世風流(ひゃくせいふうりゅう)」――永く後世に伝えられるべき、真の芸術品と言えよう。
終章:美の継承、君の掌中に宿る日本の心
さて、わしの拙(つたな)き言葉も、いささか長きに過ぎたやもしれん。しかし、この銀壺を前にすると、わしの心は千言万語を費やしてもなお語り尽くせぬほどの情熱に駆られるのじゃ。
美というものは、時に言葉の限界を超越し、我々の魂に直接語りかけてくる。しかし、その感動を何とか言葉に表そうとすることもまた、人間ならではの愛おしい営みではなかろうか。
この、尚美堂謹製、純銀茶壺 E3031。
高さ10センチ、最大幅約67.6ミリ、重量166グラム。
その小さき体躯(たいく)に、日本の美意識の精髄、代々受け継がれてきた職人の魂、そして茶の湯の深遠なる宇宙が、奇跡のように凝縮されておる。
これを手にするということは、単に一つの美しい道具を所有するということではない。それは、日本の文化遺産の一片を未来へと継承する責任を負うということであり、日々の生活の中に真の美を招き入れ、それによって自らの精神を高めていくという、崇高なる行為なのじゃ。
この銀壺が、君の日常に静かなる法悦(ほうえつ)と精神的な潤いをもたらし、茶の湯という、日本が生んだ世界に誇るべき文化の素晴らしさへの扉を開く、輝かしき一助となることを、この岡倉天心、心より願ってやまぬ。
さあ、今一度、この銀壺をその手に取り、静かにその声に耳を傾けてみるがよい。
必ずや、君の魂の最も深い部分に響く、何か大切なメッセージが聞こえてくるはずじゃ。
美の神は、常に我々の傍らに在る。ただ、我々がそれに気づくかどうかにかかっておるのじゃ。
(わしは、穏やかな、しかし確信に満ちた微笑みを浮かべ、君が銀壺を慈しむように見つめるその姿を、万感の思いを込めて、静かに見守るのであった。)

【商品スペック再確認】
品名:純銀製 茶壺
ブランド:尚美堂
品番:E3031
素材:純銀(純度99.9%以上を想定した記述)
重量:約166g
サイズ:高さ 約10cm × 最大幅 約67.6mm

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