
九代 樂吉左衛門 (了入) 赤楽輪花縁向付 火入 楽在判 楽吉左衛門
楽焼の向付です。楽印から九代了入の作と見ております。口縁が輪花形になっております。火入としてもお使いいただけると思います。底面に楽印あります。
木箱が付属しております。口緑の先端に直し、底面にカケ傷など所々に瑕疵があります。しかし、そこも含めて日本的な情緒の溢れる美しさを湛えています。
■サイズ(約)
高さ 8.1cm
径 8.4cm
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【作者について】
9代 樂吉左衛門(了入) 1756(宝暦6)年~1834(天保5)年
9代樂吉左衛門は7代樂吉左衛門(長入)の次男として京都に生まれました。名を惣次郎(後に吉左衛門)、諱を喜全、号を秀人(後に雪馬)・了入・翫土軒といいます。兄・得入が病弱であった為、15歳の1770(明和7)年に9代樂吉左衛門を襲名しました。安永年間(1772~81)に赤黒茶碗を200碗制作しました。1788(天明8)年に「天明の大火」に遭って多くを失いますが、表千家8代啄斎宗左を始めとする千家の力添えもあり、樂家を再建して旺盛な作陶生活を営み、後に「樂家中興の祖」と仰がれています。1789(寛政元)年、長次郎二百回忌に赤茶碗を200碗制作しました。この時に使用した印は「寛政判」、「茶の子判」と称されています。1811(文化8)年、次男・旦入に家督を譲って隠居し、「了入」と号しました。表千家9代了々斎宗左より「了」字を授かった事に由来します。1818(文政元)年に赤黒茶碗を50碗制作し、了々斎より「翫土軒」の額を授かって号としました。1819(文政2)年、旦入と紀州徳川家御庭焼に従事しました。1825(文政8)年、近江国石山に隠居しました。古希を記念して赤黒茶碗を70碗制作しました。箆削りを作陶の中心と据えて求めた中に、精神的な心の自在性や境地へと高まる内面的な試みが垣間見え、了入茶碗に刻まれた箆は葛藤の痕跡といえます。妻の妙詠も陶技を嗜んで「尼焼」の茶碗や香合を紀州徳川家に献上しています。
了入の作陶期は大きく三期に分類されます。一期は襲名した1770(明和7)年から1788(天明8)年の天明の大火までを「焼け前」といい、樂印「火前印」は「樂」字の中央が「自」となって横棒が右下がりです。二期は天明の大火(団栗焼け)後の1788(天明8)年から1811(文化8)年に隠居するまでで、歴代から伝わった陶土や印を消失した為に「中印」と称される樂印を用いており、新しい陶土で作行にも大胆な箆削りを見せる意欲的な作風が現れました。三期は隠居した1811(文化8)年以降で最も作品が充実しています。歳を重ねて到達した境地ともいえる技巧を脱した自由闊達な魅力に溢れており、「草樂印(草書印)」を用いました。他に「翫土老人印」も知られています。
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