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画像3枚目は、私の所有しているCDのライナーを撮影した参考画像となります。
欧州製コレクターズ瞬殺タイトル。ファンのみならず'80sマニアックス悶絶のデモ音源集VOL.1!!
1979年オリジンるは激レアなデビュー7"(2曲)+1978年パーティー・ライヴ(4曲)+XCITER(ジョージ・リンチが居たバンド)の1977年-1979年のデモ&ライヴ(8曲)+1979年ジョージ・リンチとミック・ブラウンが初参加した時のデモ(3曲)+1980年デモ(1曲)+ハーマン・ラレベルが参加した1983年デモ(3曲)な全22曲入り!!
この説明文の下部に、参考情報を記載しています。
輸入盤(CVB24083CD) / 帯:- / ケース:SS / ディスク:SS
当方の判断基準:
SS=「新品」又は「未使用」/S=新品同様/A=薄い「スリ傷」有/B=「スリ傷」有/C=「傷」又は「割れ」や「焼け」有/J=ジャンク扱い
状態については画像にてご判断いただきますが、パッケージ内部などで当方も気付いていない傷などある可能性もあります。
以上の理由より「最高の状態」を求める方は、入札をご遠慮願います。
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☆★☆ 発 送について ☆★☆
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「おてがる配送(日本郵便)⇒ ゆうパケットポストmini」での発送といたします。
ノークレーム・ノーリターンでお願いいたしますので、画像等を含めた
商品説明の内容でご納得いただきました場合のみご入札ください。
ご入札いただきました場合、上記内容に同意されたものとみなします。
<収録内容>
1979年デビュー7インチシングル:
「HARD ROCK WOMEN」
「BROKEN HEART」
ハウスパーティーライブ (1970年8月10日、カリフォルニア州バーバンク):
「LIAR」
「WAR LOVE」
「BROKEN HEART」
「STEP ON THE GAS」
1978年デモ:
「SHEILA」
Xciterデモ & ライブ (1977-1979年、ジョージ・リンチ & ミック・ブラウンのプレ・ドッケンバンド):
「BLACK STAR」
「IT'S ALIVE」
「PARIS IS BURNING」
「SLEEPLESS NIGHTS」
「DREAM DREAM」
「I'LL GET OVER YOU」
「I'VE BEEN WAITING」
「YOU WANT IT. YOU GOT IT」
1979年デモ (ジョージ・リンチ & ミック・ブラウンとの最初のデモ):
「GOING UNDER」
「HIT AND RUN」
「GIVE IT UP」
1980年デモ:
「PARIS IS BURNING」
1983年デモ (ハーマン・ララベルがドラム):
「DOT」
「HARD SENSATION」
「DESTINY」
以下に「画像3枚目」にある、私個人所有CDのライナーを取り込み、生成AIのGeminiにより読み取り和訳・分析したものです。
1979年デビュー7インチシングル
ドン・ドッケンが「She wrote night long to」という曲を書いた。
この曲は、レコード会社と契約するためにデモとして使用された。
このシングルは、ドン・ドッケンの公式デビュー前の録音であるが、彼の音楽キャリアの出発点として重要である。
録音場所と日付は不明だが、ドイツで録音された可能性がある。
複数の回数リリースされたデモ「Back In The Streets」も同時期に録音された。
Xciter (ミック・ブラウンとジョージ・リンチのプレ・ドッケン)
ジョージ・リンチとミック・ブラウンが結成した初期バンド。
1977年にフィル・ベイトマンをプロデューサーとして4曲入りデモテープを録音。
1978年8月18日にカリフォルニア州バーバンクのハウスパーティーでライブ演奏を行った。
1979年初頭にボーカルのグレッグ・サンフォードが脱退し、リサ・ファースパンカーが加入。
トニー・ユーバンクスをプロデューサーとして4曲入りデモを録音。
1979年後半にファースパンカーが解雇され、サンフォードが復帰。
このCDには両方のデモが収録されている。
1980年「Paris Is Burning」デモ
1980年までにドン・ドッケンはリンチとブラウンをバンドに誘い、彼らはデモのおかげでレコード契約を結んだ。
Xciterの曲「Paris Is Burning」は、後にドッケンによって録音された。
ブラウンとリンチがドッケンで成功する前の貴重な記録である。
1983年デモ (ハーマン・ラレベルがドラム)
1983年、スコーピオンズの「Blackout」セッションに参加した後、ドン・ドッケンはヨーロッパで成功を求めてドイツに滞在。
スコーピオンズのドラマー、ハーマン・ララベルがドン・ドッケンと彼のバンドとソロアルバムの制作に取り組んだ。
ドン・ドッケンと彼のバンドはいくつかの曲のアイデアを出し、デモが録音された。
これらの曲の一部はララベルのレコードで使用され、残りは未発表のままだった。
1983年後半、ドッケンはエレクトラ・レコードと契約し、ついに成功を収めた。
1978年「Sheila」デモ
フアン・クルーシェによると、この録音に関する情報は不正確である。
彼らは「Meindertshal」と呼ばれるスタジオで録音した。
スタジオの場所は、ハーモサアベニューとピアアベニューの北東の角にある。
深夜に借りたスタジオ時間で録音した。
この時期にスタジオに入るのは非常に幸運だった。
・・・との事ですが、生成AIのGeminiは不正確な情報を表示することがあるため、この点ご理解願います。