収録点数548点。
各図版の説明は、略名称、員数、所在都道府県、所蔵者(個人、神社、寺院、博物館等)、材質、技法、文様、法量、時代を基本として、製作年には西暦を付記。(個別作品の詳細解説は巻頭口絵写真10点のみ)
日本各地の寺院、神社、博物館から企業所蔵品、個人蔵品までを網羅し、単色写真で紹介。
見る人が見ればわかる、広大無辺な御利益のある古仏を多数収録されたもので、
愛好家必携・大変貴重な資料本です。画像のものが全てです。
【刊行のことば より】当シリーズ全体の序文
先人の文化遺産を鑑賞することは後世の欣喜すべき権利であり、これを将来に伝えるのは崇高な義務である。
近時世界の文明国は、いずれも自国の文化財保護に力を尽くしている。そのなかで、日本は近代文明と伝統が見事に融合しているといわれているが、まだ文化財の価値の認識が、十分に行き渡っているとはいえないであろう。
だが、文化財保護法は、重要文化財を知ることがわが国の歴史文化の正しい理解に不可欠で、かつ将来の文化向上の基礎だとのべている。
毎日新聞社はこの目標にそい、文化財への認識を深めるため、さきに「国宝」を刊行したが、ついで国指定の重要文化財(国宝を含む)の全容を集大成し、永遠に残したいと念願し、この図録を企画した。
さいわい関係の方々から心からの賛同を得て、多年苦心の結果、ようやく結実した。
一万余件にものぼる国宝、重要文化財の鑑賞に、これで十分であると断言はできないが、限られた条件のもとで最善を尽くし、それなりの成果をあげ得たと、ひそかに自負している。
なお文化財所有の方々から多大のご協力をいただき、また監修の文化庁では、担当官が総力をあげ、図録の分類配列にいたる細かい編集に参加していただいた。
その他関係者のご協力に改めて感謝する。
この図録が専門家、美術愛好家だけでなく、多くの文化遺産に関心を持つ人々の座右のものとなることを願っている。本図録はわれわれの文化遺産への誇りを一層新たなものにしてくれるであろう。
【目次より】
刊行のことば
凡例
原色図版
十一面観音坐像 櫟野寺
十一面観音立像 宝積寺
如意輪観音坐像 醍醐寺
馬頭観音坐像 中山寺
文殊菩薩騎獅像 文殊院
虚空蔵菩薩立像 法輪寺
地蔵菩薩坐像 六波羅蜜寺
不動明王坐像 同聚院
軍茶利明王・金剛夜叉明王像 大覚寺
愛染明王坐像 西大寺
概説 仏像の種類とかたちI
図版 木造Ⅲ
菩薩2
十一面観音
如意輪観音ほか
文殊菩薩・普賢菩薩
日光菩薩・月光菩薩
弥勒菩薩
虚空蔵菩薩
地蔵菩薩
その他の菩薩
明王
不動明王
五大明王
愛染明王ほか
索引
【凡例より】
一、彫刻編は全六巻で、国宝・重要文化財指定の仏像等2384件(昭和48年6月現在)の彫刻のすべてを収録する。なお、「附」は彫刻のみを収録する。
一、全六巻の区分は、第一巻(彫刻I)から第五巻(彫刻V)までは木造、第六巻は金属造、乾漆造、塑造、石造、その他、とする。
一、図版は本体の正面全身を原則とした。
一、本巻は彫刻編Ⅲ(菩薩Ⅱ・明王)で、前巻以外の菩薩像と明王像のすべてを収録した。
一、図版の配列はまず尊別に分け、さらに形状、時代、都道府県別の順によった。
一、名称は指定名称に従ったが、形状等から他の名称がふさわしいもの、寺伝名称のあるもの等については( )内にそれを記した。
一、形状は坐像、立像、三尊像等によって区分した。なお。特殊な組合せの像はそのまま収録した。
一、時代は飛鳥、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、桃山、江戸、近代の九時代に区分した。各時代の接点に位唯する過渡的作品は便宜上前の時代に組み入れた。
一、各図版の説明は略名称、員数、所在地、所有者、品質等(材質、仕上げ)、法量、作者、時代、銘記および納入品の有無を記載し、光背・台座の説明は省略した。
一、仕上げは剥落が著しくても漆箔や彩色の痕跡が認められるものについては漆箔、彩色などと記載し、当初の状態が不明で、現状古色を呈しているもの、後世の修理で古色仕上げとしているものはすべて古色と記した。なお、両眼の材質は玉眼を嵌入する分のみ記載し、彫眼は省略した。
一、作者が多数の場合は一、二名を掲げて代表させた。
一、制作年次の明らかな作品は時代の後の( )内に年り、西暦を記した。
一、修理銘については重要と思われるもののみ記餓した。
一、納入品で作者、制作年次を示すものを含まない場合は( )内にその概要を記した。
一、「附」等で材質の異なるものは第四巻(彫刻Ⅳ)以降の所定の巻に収録するが、納入品中の彫像は割愛する。
一、指定名称は第六巻末に彫刻編の総索引を兼ねて記載する。
一、図版および索引に付した◎は国宝を示す。
【原色図版 解説文より一部紹介】
2 十一面観音立像 一躯
京都府乙訓郡大山崎町 宝積寺
像高182.2㎝ 鎌倉時代
宝積寺の本尊像である。檜材、寄木造、漆箔、玉眼嵌入の像で、像内から発見された木片の墨書によって天福元年(1233)法印院範、法橋院雲が制作したことがわかる。鎌倉前期における院派仏師の手になったことの明らかな現存唯一の彫像である。院範は平安末から鎌倉初頭にかけて仏師の最高位にあった院尊の後継者で、院派の総帥として前代の優雅な様式の中に迎座一門が切り開いた新しい写実を消化し、独特の品格ある作風を確立した。なお、院雲の事跡は詳らかでないが、恐らく院範一門の中堅仏師であったと推定される。
やや下ぶくれで伏目がちな上品な表情で、体躯の肉づけはいかにも柔らかくおだやかに表現し、衣のひだも複雑な様相を示しながら、そこには節度ある様式化と練達した彫技がみられ、頭部と体部との過不足のない均衡と相まって落ち着いた趣を呈している。鎌倉時代における堅実な院派の作風を方向づけるにふさわしい作品といえる。
なお近年に行われた本像の解体修理に当たって像内から多量の納入品が発見された。その内容は、前記仏師名を記す木片二個のほか、造像の際に使用されたと思われるサビ研用の手砥石四片、造像に際しての勧進帳、結縁交名、願文等七巻、十一面観音摺仏四千八百四十余枚などからなる尨大なもので、これらは制作年代、作者を明らかにするのみでなく、中世、大衆勧進、結縁の事情を示す好資料でもある。(田中義恭)
5 文殊菩薩騎獅像 一躯
奈良県桜井市安部文殊院
像高198.0㎝ 鎌倉時代
「安倍の文殊」として名高い文殊院の本尊である。高い髻を結い、肩叩をつけ唐装の衣をまとい、右手に剣をとり、左手に蓮準を持して、左足を踏み下げ、獅子の背に置かれた蓮華座上に半跏する姿である。その柵造は、頭体を通して、正中線で檜の二材を矧ぎ合わせ、これに髻を柄差しとし、両手は各肩・臂・手首で矧ぎ、両膝部は横木二材を寄せ、左足の膝から下と右足首を矧ぎ付けるものである。肉身は粉溜とし、衣部には華麗な彩色がほどこされている。
右側材の頭部内ほぼ全面にわたって墨書銘が記されており、本像が建仁三年(1203)巧匠安阿弥陀仏(快慶)によって造像されたことがわかる。銘文中には約五十人の結縁者の名が記され、その中には同じ快慶作の東大寺僧形八幡神像や醍醐三宝院の不動明王像に結縁者として名を連ねた人も多く見出される。また別に像内に納められていたといわれる仏頂尊勝陀羅尼・文殊真言等(一巻)が伝えられているが、その奥書には空阿弥陀仏が、同門の慧敏の造立になる本像に奉籠するために、承久二年(1220)書写したことを記している。空阿弥陀仏は藤原通憲(信西入道)の子明遍で願主慧敏は通憲の孫、つまり明遍の甥に当り、これら血縁者による作善造像の経緯を示す貴重な資料といえよう。
本像は明快な面貌や手なれた彫技などから見て、銘文の示す如く快慶の一番あぶらののりきった建仁年間の作例として誤りなく、承久年間に至ってようやく供養がなされたとも考えられよう。なお最勝老人を除く眷族も同時一具の作である。(鷲塚泰光)
9 軍茶利・金剛夜叉明王像(五大明王像の内)二躯
京都市右京区嵯峨大沢町 大覚寺
像高 軍茶利69.3㎝金剛夜叉69.6cm 平安時代
嵯峨大覚寺五大堂の現本尊である。五大明王とは、不動明王・降三世明王・軍茶利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王の五躯の明王の総称で、五大尊あるいは五忿怒ともいわれる。密教における重要な尊で、古くから五壇法の本尊として信仰され、九世紀には東寺講堂の五大尊像のような優品を生んでいるが、五体一具が完存する例はきわめて少ない。
大覚寺五大明王像は、軍茶利・金剛夜叉両像の台座裏の銘記によって、安元二年~三年(1176~77)にかけて、法眼明円か後白河法皇の七条殿弘御所でつくったことがわかる。明円は京都三条に住し、平安末期から鎌倉時代初期にかけて、院尊と並んで京都の正統仏師として活躍し、院や藤原家、平氏一門の知遇をうけて、その造仏に多く奉仕した。その閧承安四年(1174)には法眼位に進み、また治承回禄後の興福寺再興に際し、金堂造立の大仏師となったことは有名である。
(中略)
安元二年といえば、運慶が奈良・円成寺の大日如来像を作った年で、新時代への新しい機運が勃興し始めたころであり。当時の京仏師を代表する明円の唯一の作例として、わが国彫刻史を考える上できわめて重要な遺作である。(松島健)
ほか
【仏像の種類とかたち I 】より一部紹介 田辺三郎助
重要文化財(国宝を含む)に指定されている彫刻の大半は仏像つまり仏教の尊像である。それは日本文化史の上に仏教の果たした役割の大きさを物語っている。わが国古来の宗教である神道に彫像が生まれるのも仏教との接触によるものと考えられ、肖像の大部分は高僧のそれによって占められている。これらの時代様式を考えるのに、仏像との対比なくしては不可能にちかい。日本彫刻史は仏像の歴史といって過言ではないのである。
こうした仏教の尊像には、いうまでもなくいろいろな種類があり、それぞれ役割や生い立ちが違っている。その概要はすでに「重要文化財」第七巻絵画Iの概説に述べられているので、ここではそれらの視覚的な区別や時代的特色、変化などを主に、具体例によってまとめてみよう。
まず仏像はつぎの四種に大別されるのが普通である。
一、如来
二、菩薩
三、明王
四、天
「如来」は「仏陀」「仏」ともいい、真理を悟ったもの。 つまり「覚者」という意味の普通名詞である。「仏像」という言葉は、この「仏」の像の意味であって、厳密には他の三種の像を含まない。そして仏教成立時には、この「仏」は釈迦だけであり、以後仏教教義の展開とともにいろいろな「仏」があらわれたことは絵画Iの概説のごとくである。「菩薩」は自らも悟り、衆生をも済度するために修行するものの意味である。その発想はやはり修行中の釈迦であり、「如来」の数がふえるとともにそれぞれの「如来」に付属して修行する「菩薩」のイメージが生まれ、やがて独自の教義ないし信仰を得た「菩薩」たちがあらわれてくる。
「明王」になると釈迦の観念からまったく離れ、仏教のなかでも最も理論的観念的となった密教哲学の所産である。密教で重んずる「陀羅尼」(明)の功力絶大なるもの(王)の意味で、この「明」は如来の真意とも解され、それを奉じて悪を打破する使者、つまり「持明使者」とも呼ばれる。「天」は仏教成立以前からインドにあったバラモン教をはじめ他宗教の神、のうち、仏教にとり入れられ、仏法守護の役目を課せられたものたちである。だから、上記の三種にはない性別があったり、自然現象の神格化されたものがあったり
する。そしてこれら「明王」「天」も特定の「如来」「菩薩」と結びついたり、独自の発展を示すものがあらわれる。
こうした四種のほとけたちは、当然その姿も違ったものになる。以下部類別にみていこう。(以下略)
【田辺三郎助】概説著者
東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。文化財保護委員会、文化庁美術工芸課、東京国立文化財研究所修復技術部長、国立歴史民俗博物館教授、東京国立博物館資料部長、文化財鑑査官、1987年、武蔵野美術大学教授、2001年、退職、名誉教授。町田市立博物館館長など。論文「能面藝術の形成」(『國華』1431・1436号、2015年)で2016年に國華特別賞を受賞。
【索引より 一部紹介】都道府県、個人名、◎印は国宝(ここでは省いていますが、本には記載されています)