廃盤
クレンペラーの『魔笛』ライヴ!
白熱して鬼気迫るクレンペラーの指揮、
そして若きサザーランドの「夜の女王」の
鮮烈な名唄!
モーツァルト:
歌劇『魔笛』全曲
ジョーン・サザーランド、
ジョーン・カーライル、
ハンス・ホッター、ほか
コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団
オットー・クレンペラー(指揮)
1962年1月4日、ロンドン・ライヴ
1961年に『フィデリオ』を上演し、コヴェント・ガーデンで成功を収めたクレンペラーは、翌年、『魔笛』をとりあげます。
しかし『魔笛』は『フィデリオ』と異なり、コヴェント・ガーデンではすでに明快な演出と軽快な演奏による英語上演で幅広い人気を得ていた演目だったため、
クレンペラーの持ち込んだ重めの演奏&ハンス・アイスラーの息子の演出によるドイツ語上演は、聴衆を当惑させることとなり、
さらにワガママだったサザーランドがクレンペラーの指揮に従わないという珍事によって、不評にさらされることとなってしまいます。
とはいうものの、2年後におこなわれたEMIへのセッション録音が素晴らしい演奏内容であることを考えると、
歌が中心のバランスによるモノラル録音とはいえ、このライヴ音源にも資料的価値にとどまらない存在意義があるかもしれません。
ちなみに、ジャケットに使われている写真の左側の女性は、英国エリザベス女王の母であるエリザベス・ボーズ=ライアン、
右側の女性はクレンペラーの娘、ロッテということです。(HMV)
● モーツァルト:歌劇『魔笛』全曲
タミーノ/リチャード・ルイス
パミーナ/ジョーン・カーライル
パパゲーノ/ジェイレント・エヴァンズ
パパゲーナ/ジェニファー・エディ
夜の女王/ジョーン・サザーランド
ザラストロ/デイヴィッド・ケリー
弁者/ハンス・ホッター
モノスタトス/ロバート・バウマン
3人の侍女/ジュディス・ピアース、ジョゼフィン・ヴィージー、モニカ・シンクレア
3人の童子/マーガレット・ネヴィル、アン・フッド、マリオン・ロバーツ
コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団
ダグラス・ロビンソン(合唱指揮)
コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団
オットー・クレンペラー(指揮)
録音時期:1962年1月4日
録音場所:ロンドン、コヴェント・ガーデン、王立歌劇場
録音方式:モノラル(ライヴ)
【booklet note】
1961年2月、オットー・クレンペラーはコヴェントガーデン・ロイヤル・オペラハウスにてベートーヴェンの《フィデリオ》を指揮した。この時は彼自身が監督した新演出として上演された。クレンペラーにとって、オペラ全曲上演としては約10年ぶりのことだった。期待は高かったが、実際の演奏はそれ以上のものだった。聴衆からも評論家からもロイヤル・オペラハウスでの次の演目が熱望された。そして発表されたのが、新演出のモーツァルト《魔笛》であったことは、少なからず音楽界を驚かせた。コヴェントガーデンは、戦後の再開以降すでに2種類の演出で同曲を上演していた。それらは、The Magic Flute として英語での上演ではあったが、Die Zauberflote としてドイツ語での新演出が加わるのは少々過剰と思われたからである。さらにクレンペラーは、自身が指揮するのであればゲオルク・アイスラーに舞台装置や衣装のデザインを依頼したいと主張した。オスカー・ココシュカが断ってきた後、ドロヘダ卿が推薦した人物である。作曲家のハンス・アイスラーの息子であるゲオルク・アイスラー(ココシュカに師事したこともある)はそれまでに舞台演出の経験がなく、作品の多くは評論家によって酷評されていた。
初日の1962年1月4日の夜は、正直なところ開演前の期待を大いに満足させるだけの公演とはならなかった。評論家の反応は鈍く、舞台装置と衣装は不評であった。大体は、舞台に輝きや活気がなかったという意見に集約された。Guardian 紙のフィリップ・ホープ=ウォレスは「オペラハウスにはうっすらと倦怠感が漂っていた」と述べているし、Musical Times ではピーター・ブランスクームは「上品ぶった控え目さが時代遅れ」と批判している。
Opera でのハロルド・ロザンタールはこう述べている。「クレンペラーの指揮ということで、期待されていたように、確かにオーケストラも歌手も感性豊かに楽譜に忠実に演奏してはいた。ただし、概してテンポが遅く、音楽が停滞することが散見された。もしも、事前にこの公演が今世紀最高の偉大なる指揮者が演奏すると知らされていなかったとしたら、観客はどのような感想を持ったであろうか?」もうひとつの論点はドイツ語で上演されたことであった。まだ字幕付き上演など考えられない時代に、イギリス人のキャストが演じる長い会話部分を聴衆はまったく理解することが出来ない。これは《魔笛》のような作品にとっては大きな課題であった。ハロルド・ローゼンタールは以前より「この作品は他のどのオペラより聴衆が理解できる言語で上演するべきだ」と主張していた。これはブルーノ・ワルターが第二次大戦中、ニューヨークにて《魔笛》を英語で上演した際の発言である。
弁者を演じたハンス・ホッターを除いたほぼすべての演者がイギリス人で、その多くがコヴェントガーデン所属のアーティストであった点は大いに評価できる。(ホッターもコヴェントガーデンに頻繁に客演していた。)この夜注目されたのは、パパゲーノを演じたジェレイント・エヴァンズだった。彼のパパゲーノ役にすでに定評があったが、この公演でのパフォーマンスは過去最高の高みに達するものだった。The Spectator 誌に寄稿していたデイヴィッド・ケルンズは「ジェレイント・エヴァンズのパパゲーノを聴けたことは大いなる喜びであった。快活で予測を裏切るアクションは人間的で、素晴らしく面白かった。物語を邪魔することなく、常に聴衆の注目を集めていた。」エヴァンズに続いて称賛を浴びたのは、1955年よりコヴェントガーデンに所属していたジョーン・カーライルであった。彼女はこの舞台で初めてパミーナを演じた。デイヴィッド・ケアンズは彼女の歌唱を以下のように評している。「ピュアで思慮深く、それでいて力強い。自信に満ちた誠実な演技は何度も客席に感動をもたらした。」確かに、この公演から数年で、カーライルは様々な役をこなし、コヴェントガーデンのスターの地位を手にする。ハンス・ホッターもまた、出番は短いながら重要な弁者の役で強い印象を残した。堂々たる歌唱で、音楽的にも演劇的にも完璧なパフォーマンスを見せてくれた。ハロルド・ローゼンタールは、彼ほどの技量を持つアーティストがこれだけ出番の少ない役を引き受けるのは、彼の誠実な性格の証明だと述べている。事実、ヴォータンを演じる際と同様に、彼はこの役を丁寧に尊厳をもって演じており、コヴェントガーデン所属の歌手にしてみれば最高の実地訓練になったに違いない。他に注目されるのは、タミーノ役を熟知しているリチャード・ルイスが快活にこの役を歌い、コヴェントガーデンのヴェテラン、2組の二人の男性歌手(僧侶を歌ったジョン・ドブソンとロナルド・ルイス、武者を歌ったエドガー・エヴァンスとヴィクター・ゴッドフリー)が第一級のパフォーマンスを見せてくれたことである。
最も出来がよくなかったのは、夜の女王を歌ったジョーン・サザーランドだった。《魔笛》の役はいくつかこなしていたが、これが初めての夜の女王だった。サザーランドが初めてコヴェントガーデンに出演したのは1952年のことで、この時歌ったのも第1の侍女であり、その後も第1の侍女とパミーナを何度か演じている。サザーランドは、1959年11月にロイヤル・フェスティバル・ホールで行われたフィルハーモニア管との《合唱》でクレンペラーとの共演を果たしていた。《魔笛》では、リハーサル段階において2曲の夜の女王のアリアで音を下げることに、クレンペラーは同意していた。最初のアリアは半音、2つめのアリアは全音下げることになった。そんな中、初日、サザーランドが夜の女王の第1のアリアで、テンポやリズムといった意味でクレンペラーの指示に従わなかったことに、聴衆は少なからずショックを受けた。以降、この対立は改善されたもののこの録音でもその片鱗を聴くことができる。この録音ではオーケストラより歌唱を強調したバランスで聴くことができるので顕著ではないが、当日客席にいた人にはアリアの出だしの‘O zittre nicht’(怖れないで!)でのソプラノ歌手と指揮者の間の不和はかなり明確なものだった。サザーランドは自伝A Prima Donna’s Progress (Orion 1997)において、この出来事に触れている。曰く、ここでのテンポは異常に遅く不安定でクレンペラーの敵意すら感じるものだった。そのため、オーケストラのコンサート・マスターであったチャールズ・テイラーに指揮を見ないで演奏して欲しいと頼んだ。テイラーは「歌いたいように歌ってくれ。オーケストラはいつも君とともにある!」と答えた。しかしながら、歌いだした瞬間、彼女は舞台上の立ち位置を間違えたことを悟った。オーケストラの音が聴きにくい場所だったのだ。さらに、サザーランドはテイラーの言葉をいいように解釈し過ぎ、アドヴァイスの本当の意味を誤って認識していたと後に説明している。諸々の悪条件が重なってはいるが、根本的に彼女がこの役を引き受けたこと自体が間違いだったと言える。彼女の柔らかい声質は、夜の女王の持つ邪悪なキャラクターには合わないし、モーツァルトの音楽が要求している硬質な輝きとは相容れないものである。恐らく、パミーナか第1の侍女を引き続き演じたほうが彼女の美点が生かされたに違いない。
これらの公演に引き続き、EMIはクレンペラーに《フィデリオ》と、少し遅れて《魔笛》のレコーディングをオファーするが、どちらのキャストも公演とはまったく違うものとなった。《魔笛》においては、クレンペラーは会話部分の収録を頑なに拒んだ。「会話は舞台装置とジェスチャーがあってのものだ。視覚的効果がないのに、これを収録するなんて馬鹿げている」という理由だった。諸々の欠陥はあるものの、コヴェントガーデンにおけるクレンペラーの《魔笛》は彼のロンドンでの音楽活動における重要なイヴェントであったことは間違いない。この後、EMIのウォルター・レッグによりフィルハーモニア管の終身指揮者となったクレンペラーにとってロンドンという土地はその音楽活動のまさに中心地となり、次々と伝説的なレコーディングやコンサート、オペラ公演を生み出した。ロンドンはまさに、彼のキャリアの中での幸せな時期の大半を過ごした地だったのである。それらの足跡として、この《魔笛》は永遠に聴き継がれるべき録音なのである。」
c Tony Locantro, 2015 訳:堺則恒(TESTAMENT)
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