平塚らいてう(読み=ひらつか らいちょう)
(1886~1971)本名・明(はる)、東京市生れの女性解放運動家、思想家。欧米を巡遊した高級官吏の父の影響で、
ハイカラで自由な欧米的環境で育つ。1903年、日本女子大学校に入学。
1905年、禅道場に通い、慧薫禅子の道号を授かる。1907年、成美高等英語女学校に通い、
文学に目覚め、生田長江に師事。生田、森田草平が主催する課外文学講座に通ううち、
1908年、森田と心中未遂事件(塩原事件、煤煙事件)を起こす。
(漱石門下でも問題児であった森田は、1909年、心中未遂事件『煤煙』を書く。)
1911年、文芸誌『青鞜』を立ち上げ、「元始、女性は太陽であった」の表題は永く人々の記憶に残る。
表紙は長沼智恵(=高村智恵子⇒智恵子抄)が描き、与謝野晶子が詩を寄せた。
1915年、『青鞜』の編集権を伊藤野枝に譲ると、伊藤は内容を変更し、翌年休刊。
1918年、母性保護論争の発端を与謝野晶子が書き、らいてうがこれに反論、
山川菊栄、山田わかがこの論争に加わり、社会現象となる。
1919年、市川房枝、奥むめおらと『新婦人協会』を設立、
これに反対して1921年、社会主義者の伊藤、山川等は『赤瀾会』を結成。
戦後は1953年『日本婦人団体連合会』を結成、初代会長に。
1962年、いわさきちひろ、野上弥生子、深尾須磨子、壷井栄ら32人の女性の呼びかけにより、
『新日本婦人の会』を結成。その他ベトナム反戦運動を展開。
1970年、胆嚢、胆道癌を患い、1971年、入院先で逝去、85歳。
書名:平塚らいてう著作集(1983年:大月書店版):全7巻補1巻揃:
著者:平塚らいてう
編集:大岡昇平/櫛田ふき/古在由重/小林登美枝/築添曙生/丸岡秀子/米田佐代子
発行所:大月書店
発行日:1983年6月20日 第1刷発行 他
定価:3,000円×8=24,000円
所収:【第一巻】 青鞜 ;
1908年(明治41年) ◇ 幽愁 / 1911年(明治44年) ◇ 元始、女性は太陽であった ー『青鞜』発刊に際して 他 /
1912年(明治45年ー大正元年) ◇ ノラさんに / 円窓より / 田中王堂氏の『哲人主義』 他 /
【第二巻】 母性の主張について ;
1915年(大正4年) ◇『青鞜』と私 ー『青鞜』を野枝さんにお譲りするについて 他 /
1916年(大正5年) ◇『愛の争闘』に現われたる両性問題 / 母性の主張について /差別的性道徳について 他 /
【第三巻】 社会改造に対する婦人の使命 ;
1918年(大正7年) ◇ 婦人再婚論 / 結婚の道徳的基礎 / 婦人労働問題と種族問題 /
1919年(大正8年) ◇ 現代家庭婦人の悩み / 我が国の婦人参政権問題について 他 /
【第四巻】 むしろ性を礼拝せよ ;
1924年(大正13年) ◇ むしろ性を礼拝せよ / 青春期の危機に心せよ ー 大磯心中事件について 他 /
1925年(大正14年) ◇ 田中芳子さんの近業 / 山川菊栄さん / 虐げられたる現代の母性 / 深草の里 他 /
【第五巻】 婦人戦線に参加して ;
1928年(昭和3年) ◇ 婦選運動をいかに導くべきか / 政友会の婦選案に対する全国婦人同盟の声明批評 他 /
1929年(昭和4年) ◇ 母性愛が要求する産児制限 / バーナード・ショウの社会主義解説 他 /
【第六巻】 娘に母の遺産を語る ;
1935年(昭和10年) ◇ 友松円諦氏をめぐる浄土問題について / 母の務めを終えた寡婦の生き方 他 /
1936年(昭和11年) ◇ 結婚と離婚 ー中川善之助氏の新著『妻妾論』を読む /「老いたる父」の問題 他 /
【第七巻】 私は永遠に失望しない ;
1946年(昭和21年) ◇ 婦人代議士に / 1947年(昭和22年) ◇ あなた自身を知れ /
1948年(昭和23年) ◇ わたくしは夢を実現したか / 1949年(昭和24年) ◇ 雷鳥の軸 他 /
【補巻】写真・書簡・年譜・著作目録 ;
写真集 ◇ 77葉 // 書簡集 ◇ 33名 103通 / 書簡集注解 /
〇 平塚らいてう年譜(小林登美枝)/ あとがき(平塚らいてう著作集編集委員会)/ 平塚らいてう著作目録 /
参考:帯・箱なし。小口・天・地、本文等に少汚れ・ヤケ・シミ等あり。四六判。計約4.4kg。 ≪古本購入≫
ゆうパック(追跡・補償あり)サイズ80。取置(1週間)・ゆうパック等で同梱可。
★終活のため処分しております。