60年代の最高のモダニストであるファッション・デザイナー、ルディ・ガーンライク
ルディ・ガーンライヒ(Rudi Gernreich, 1922-1985)は、オーストリア生まれのアメリカ人ファッションデザイナーです。彼の名を最も有名にしたのは、女性の胸を露わにしたトップレスの水着「モノキニ」でしょう。彼はファッションを通して、Wikipediaによるとセクシュアル・フリーダムを提唱したデザイナーであり、60年代ファッションに大きな影響を与えました。
写真家藤井秀樹
1934(昭和9)年8月28日東京に生まれる。本名秀喜。子供の頃からカメラに親しみ、高校在学中の52年に映画館の火災を撮影した写真が新聞紙面に掲載され、同年サン写真新聞優秀報道写真賞を受賞した。こうした経験から写真家を志し、54年日本大学芸術学部写真学科に入学。学業と並行して、秋山庄太郎に師事、助手を務める。57年婦人生活社に入社、ファッション誌『服装』の専属として、さまざまな撮影を担当。60年日本デザインセンターに移り、広告写真を担当、自動車会社の広告のために日本で初めて本格的な自動車のスタジオ撮影にとりくむなど、新しい広告写真表現で注目された。63年に同社を辞し、フリーランスとなり、65年スタジオ・エフ設立。同年、丘ひろみをモデルに起用したマックスファクター社の広告写真によりスペイン新聞広告賞金賞を受賞、以降8年にわたって手がけた同社の広告により評価を確立する。75年に国際写真雑誌『Zoom』29号で特集されるなど、その作品は海外でも評価が高く、生涯にわたって広告写真の一線で活動を続けた。また女優のポートレイトも多く手掛け、それらをまとめた『藤井秀樹女優作品集』(竹書房、1994年)が出版されている。全身に化粧を施したモデルを被写体に日本の伝統美を表現した、メークアップアーティスト小林照子との共同作業による「からだ化粧」の連作は、81年の展覧会(オリンパスギャラリー、東京・新宿)での発表以降、ライフワークの一つとなった。84年に出版された写真集『からだ化粧』(日本芸術出版社)などにより85年第35回日本写真協会賞年度賞を受賞。また80年代半ばからは感光乳剤を布や石などさまざまな素材に塗布して支持体とする印画技法を試み、独自に「フジイグラフィ(Fグラ)」と呼んで作品制作にとりくんだ。90年代後半からは小児病院の設立などカンボジアの児童支援に尽力するとともに、たびたび同国を訪問し子供たちのくらしを撮影、2004年には『カンボジアと子どもたちの戦後』(丹精社)を上梓している。83年日本写真芸術専門学校に講師として招聘され、以後同校で教鞭を執り、02年から校長を務めた。また02年から04年まで社団法人日本広告写真家協会会長を務めた。
経費を除き売り上げは下記の団体に寄付します
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー(Friends Without A Border) は、主にアジアの恵まれない子どもたちへの医療支援を行う国際的な非営利団体であり、**藤井秀樹(Hideki Fujii)**氏はこの団体の理事を持っていました。
藤井秀樹氏は、単なる写真家としてではなく、社会貢献活動にも積極的に関わった文化人として知られており、その一環としてフレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーの支援活動に携わっていました。彼はこの団体の理念に共感し、自身の芸術的な才能を通じて、子どもたちの未来に希望を届ける手助けをしてきました。
特に、彼の写真は団体の広報活動やチャリティイベントにおいてビジュアル・メッセージとしての役割を果たし、多くの支援者の心を動かす大きな要因となりました。写真の力で世界に訴えるという藤井氏の信念は、このような人道的なプロジェクトにも深く生かされています。
藤井氏の死後も、その精神は団体の活動の中で生き続けており、彼の名前は支援者として、そしてビジュアルコミュニケーションの担い手として記憶されています。