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B72 江戸っ子と助六 赤坂 治績  (新潮新書 )  2006年発行 
B72 江戸っ子と助六 赤坂 治績  (新潮新書 )  2006年発行  [浏览原始页面]
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新書です。 きれいなほうです。

口上
 江戸っ子に最もよく知られていた歴史上の人物は誰か。曾我五郎である。
 正徳五(一七一五)年以降、江戸の幕府公認劇場(「大芝居」という)は、正月興行(「初芝居」という)に曾我物を上演するのが恒例になった。曾我物は鎌倉時代(十二世紀末)に曾我十郎・五郎兄弟が親の敵・工藤祐経を討った事件を劇化した作品をいう。正月はどの大芝居に行っても、曾我物を上演していたのである。仇討ちの芝居が新年を祝う祝祭劇になっていたのだ。そのため、曾我五郎を知らない人はいなかった。
 次に、江戸時代の庶民に一番好まれた作品は何か。江戸の庶民が最も愛した作品は助六劇(市川團十郎家で上演する時の名題は『助六由縁江戸桜』)である。この助六劇の主人公、助六も実は曾我五郎で、侠客に身をやつして吉原に通っている、という設定だ。
 江戸時代、助六劇はほぼ江戸だけで上演された。幕末に三回、大坂で上演し、その行き帰りに地方都市でも上演したが、それ以外は江戸だけの上演である。
 とくに天明期を中心とする一八世紀後半は上演回数が多く、江戸ではほぼ二年に一度上演された。江戸の大芝居は三つしかなく、それぞれ年に五作品ほどしか上演しなかったことを考えると、上演回数は異様に多い。
 助六劇は江戸っ子に最も好まれた作品だったから、その名前は様々な物に使われた。
 たとえば、現代のすし屋も醤油を「紫」と言っている。昔は「助六」と言った。紫は助六の鉢巻の色で、イメージカラーになっていた。そのため、助六の鉢巻と色が似ている醤油を、洒落て助六とも紫ともいうようになったのである。洒落がすし屋の符牒になったのだ。洒落であり、すし屋の符牒だから文字に遺りにくいが、管見では、この語は大正期の文献にしか出てこない。近代に成立した語だろう。
 また、巻きずしと揚げずし(稲荷ずし)を組み合わせた弁当を「助六ずし」という。巻きずしの海苔を助六の鉢巻に見立て、揚げと巻きを助六の恋人である太夫(高級遊女)の揚巻に掛けて名付けたようだ。これも近代に生まれた語だろう。
 助六劇の人気は近代まで続いていたのである。
 演劇は役者が己の身体を使って表現する身体表現芸術である。しかし、演劇は観客がいなければ成立しない。世の中に光と影、表と裏があるように、演ずる者(役者)と観る者(観客)の間に演劇は成立するのだ。
 また、演劇は一期一会の芸術だ。役者の表現を受け取れるのは、ある時間、ある場所にいる観客だけ。終わると消えてしまい、観客の心にだけ残る。
 つまり、演劇を構成する最低限の要素は、役者と観客、それに一定の時間と場所である。これが演劇を含む実演芸能の最大の特徴だ。
 その観客の感覚・好みは時代によって変わる。演劇は観客の感覚や好みを考慮せざるを得ない。シェイクスピアが喝破したように、演劇は時代を映す鏡なのだ。日本の古典劇のように、古い形をよく遺しているのは奇跡と言える。
 いままで出版された歌舞伎書は、役者や台本について書いたものが圧倒的だ。
 演劇は役者が身体で表現する芸術だから、役者を扱った歌舞伎書が出版されるのは当然である。戯曲(台本)は役者の表現を観客が受け取ってはじめて完結する文学だ。歌舞伎も演劇・実演芸能の一つだから、一方の構成要素である観客を無視した戯曲論はあり得ないはずだが、現状は文学の面からだけ捉えた戯曲論ばかりである。
『助六』を扱った書籍は自費出版と思われるものしか見当たらない。江戸の歌舞伎を代表する作品でありながら、文学的ではないという理由で無視されてきたのである。
 私はもともと劇団に所属した制作者で、演劇雑誌の編集者に転じ、いまは物を書いて生活している。観客・読者を増やすことに腐心してきた半生だったから、そのような歌舞伎関係書の現状に強い不満を持っていた。
 本書の目的は、江戸の庶民に一番好まれた助六劇を採りあげ、江戸時代の歌舞伎と観客の関係を探ることにある。換言すると、江戸の庶民はどういう文化を持っていたのか、江戸っ子はどういう気質・美意識を持っていたのか、ということでもある。わかり易やすく現代語で書けば、江戸っ子は何をカッコイイと思っていたのか、ということだ。
『助六』の主人公・助六は侠客、副主人公・揚巻は遊女である。また、場所は遊里の吉原だ。先ほど、世の中は、光と影、表と裏で成り立っていると書いた。遊里・侠客は江戸時代の陰・裏の存在である。しかし、遊里・遊女や侠客を無視して江戸時代の庶民文化は考えられない。したがって、本書は遊里・遊女論でも侠客論でもある。
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