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※ご覧いただきありがとうございます。
◆コレクター・収集家からの依頼品です。
◆中国文化 道教の仙人[劉 海蟾]りゅう かいせん像
◆昭和12年頃の(滋賀県内)で2点発掘され、その内1点が当時の新聞記事に「金仏と記載され話題に」
◆この商品も検査の結果、金が10%以上含まれている事が判明しております。
☆中国道教の仙人劉海蟾の像
☆年代は18〜19世紀と思われますが、或いは、より以前の、明時代(14〜17世紀)の品か?
☆寸法 縦 約15.5㎝ 横 約7.1㎝
重量 約239.0g
☆検査の結果[金測定]10〜14%以上含む。
※そっくりの作品が外国のオークションにて落札されています。
※劉 海蟾]=蝦蟇仙人 童子形の銅像として。
落札価格ハンマープライス[$30000]写真参考に!
☆参考 「劉 海蟾」の項
☆劉 海蟾(りゅう かいせん、生没年不詳)は、五代後梁の人。諱は操、字は宗成。海蟾子という道号を持つ[1]。別に名は元英、劉海などの伝えもある。幽州幽都県(現在の北京市南西部)の人。
☆伝記 16歳で科拳の明経科に合格した秀才で、後梁の燕王劉守光に仕えて丞相にまで出世した。ある日、正陽子と名乗る道人がやって来て、鶏卵十個と銭一枚をくれるように言う。劉海蟾が言われた通りにやると、正陽子は机の上に銭を置いてその上に次々に鶏卵を乗せていく。それを見た劉海蟾が思わず危ないと叫ぶと、道人は「そう言うが、実はお前の身分の方がこれよりもっと危ない」と言い残してどこかへ行ってしまった。正陽子のこの一言で悟った彼は、すぐに官職を辞して、狂人の真似をして歌ったり躍ったりしながら身の危険から逃れて、ついに道士となり、海蟾子と号して修行に専念した。のちに呂洞賓に会い、金液還丹の秘訣を授けられて、現在の陜西省西安市の終南山の麓、石井鎮阿姑泉歓楽谷で修道して仙人となった。後世には同市の曲抱村の玉蟾台に「劉海蟾」が建立されている。成仙した後、ある道観で「亀鶴斉寿」の四字を壁に書くと、同時に数千里四方の道観で同じことが起こるなど、常に終南山と太華山間を往来しながら、各地で様々な神異を顕わしたと伝わる。
☆神仙 仙童の姿として描かれていることも多く、その前髪を垂らした髪型から、劉海というのは髪型の名、あるいは前髪を意味する言葉としても使われている。明代以降は、財神としても人気を博した。明代の「列仙全伝」では八仙の一人とされている。劉海蟾は、全真教の北五祖(zh)の一人として尊崇されて、1269年に元の世祖は「明悟弘道真君」の封号を与えた、1310年には武宗が「海蟾明悟弘道純佑テイ君」の封号を加えた。
☆脚注[1] 正統道蔵「金蓮正子宗仙源像伝」著作 還金篇」黄帝陰符経集解」伝記資料「金蓮正宗記」「金蓮正宗仙源像傳」「歴世眞仙體道通鑑」
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